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リレー寄稿

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【阪神・淡路大震災25年】上園智美(うえぞの・ともみ)

2020年3月30日

【阪神・淡路大震災25年】上園智美(うえぞの・ともみ)

日本ミクニヤ株式会社
名古屋大学減災連携研究センター

出身地:熊本県熊本市
最近の防災・減災活動:平成26年度(2014年)から平成30年度(2019年)まで、名古屋大学減災連携研究センター受託研究員として、防災啓発ツールの開発や自治体防災部局の女性職員との勉強会などを企画・実施。平成28年(2016年)より、(一社)福祉防災コミュニティ協会事務局の運営を行うとともに、福祉防災上級コーチとして福祉分野における防災講座の講師としても活動を行う。

1995年1月17日、その時あなたは何をしていましたか?

当時は大学生だったので、地震が起きた時は九州の自宅で寝ていたと思います。実は「その日、何をしていたか」、全く覚えていません。テレビをほとんど見ない生活だったので、私にとっては「普通の一日」だったのだと思います。
阪神・淡路大震災の映像で最初に覚えているのは、次の日の朝刊一面に載った航空写真でした。神戸の街に火災の煙が何本も上がっていて、「どこの戦争の写真?え?神戸の地震なの!?」と思った事を覚えています。


あなたの25年は神戸にどう影響されましたか?

初めて神戸に行ったのは、1998年です。六甲で土石流危険渓流の調査を行った時でした。神戸の人たちに初めて神戸に来たことを伝えると、口々に「ルミナリエを見ていきなよ!」と薦められたことを覚えています。
調査に入った山の中で、摩耶ケーブルが被災したまま運休しているのを見て、「阪神・淡路大震災のことが、私の中に現実として入って来た」と感じました。その後、阪神・淡路大震災でどんなことが起きたのか、資料を読んだりお話しを聞いたり映像を見たりして勉強しました。
「1.17のつどい」の事を知ってから「いつか行ってみたい」と思っていましたが、「神戸の事を知らない私が行ってもいいのか」という迷いと不安があり、神戸行きを踏み出せずにいました。2014年から名古屋大学で防災の研究をする機会をいただき、一緒に防災の研究を行っている仲間に勇気を貰って、「1.17のつどい」へ行くことにしました。仲間と一緒だったので、感じたことを共有したりいろんな議論をすることもできました。この時、復活した摩耶ケーブルにも行き、神戸の復興を体感しました。1998年から気になっていた宿題に、一区切りつけられたと感じた瞬間でもありました。


それを踏まえて現在どんな取り組みをしていますか?

ここ数年のことですが、あの頃関西に居た友人達が、私が防災の仕事をしていることを知って「実は、あの時…」と経験を話してくれるようになりました。阪神・淡路大震災が起きたことで、関西に居た人の多くは何かしらの経験をしていて、私の周りにも人生がまったく変わってしまった人や心の奥底にいろんな思いをそっとしまったままの人が居たんだということを知りました。私の阪神・淡路大震災の知識のほとんどは資料などから得たものですが、そこに友人達が話してくれた経験が加わり、防災講話を行うときの根っこになっています。
被災したことがない人が災害を「自分事」にするのは難しいですが、自分の友人の経験に思いを寄せることで「自分たち事」にすることは出来ると思います。こうやってみんなが誰かの被災経験に少しずつ思いを寄せていくことが出来れば、「災害は他人事」と思えなくなるのではないかと思いながら、地域の皆さんとお話しをさせていただいています。