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リレー寄稿

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【阪神・淡路大震災25年】石川永子

2020年3月27日

【阪神・淡路大震災25年】石川永子 (いしかわえいこ)

横浜市立大学都市社会文化研究科 准教授

最近の防災・減災活動:都市防災、復興まちづくりの研究を行う。

1995年1月17日、その時あなたは何をしていましたか?

東京都江戸川区で家族と暮らす大学4年生でした。住居学を学び、4月から住宅メーカーに技術職として就職が決まっていました。テレビニュースの映像をみて言葉を失ったのを覚えています。
就職する会社は軽量鉄骨の住宅を作っていましたが、宝くじの販売所(販売員さんがいる小さなプレハブ)の製造もしていたことから、仮設住宅の建設も担当することになり、会社より同期の新入男性社員達に、「春休みに仮設住宅建設現場で働いてほしい」という要請がありました。私も行きたくて問い合わせたのですが、叶わず、何も役に立てない自分に悔しい思いをしたことが、強く記憶に残っています。


あなたの25年は神戸にどう影響されましたか?

防災や復興に関わりたい気持ちはありましたが、就職から6年間は、新規支店の設計部で、ひたすらCADで図面を書いたり顧客打ち合わせに追われたりする日々でした。当時の会社の販売促進ポスターのひとつに、周囲は全壊の街並みのなかに、自社の軽量鉄骨住宅が無事に建っているものが使われ、意図はわかるのですが、「神戸の人がみたらどう思うんだろう?」と、密かに東京と被災地の温度差を感じたこともありました。
その後、大学院での6年間に、中越地震の集団移転、トルコの都市復興の研究をすすめるなかで、現在にもつながる貴重な研究者の先輩研究者の方々、復興や防災に関わる市民の方々に出会いました。また、研究の傍ら、木造密集地である東京都墨田区京島のまちづくりセンターに勤務し、地域コミュニティや商店街、地元の大工さん達と共に、商店街の空き家を耐震モデルハウスとして公開するなど、「建築の技術を地域の高齢者を含めた住民の方々、担い手である人々にどのように伝えるのか?」というテーマに取り組んできました。
その後、神戸の人と防災未来センターに縁あって勤務しましたが、被災経験者でない自分が神戸とどう向き合うかに悩んだ時期もありました。はじめて、神戸で市民講座の講師をしたときは、「自分は何を伝えられるのか?」と考え、登壇の前には身震いしたことが思い出されます。
神戸での出会いのなかでも、神戸市兵庫区自立支援協議会「防災を考える会」で、毎月活動を続ける障害当事者の方々と議論し、当事者だから発信できること、支援されるだけでなく自ら工夫をこらして訓練に参加し、地域に働きかけていく出前講座のプログラムを一緒につくったことが、その後の自分の研究や活動につながる大切な経験となりました。


それを踏まえて現在どんな取り組みをしていますか?

現在は、横浜市立大学で、まちづくりや都市政策等を学ぶ学生達に防災を教えています。「入口を防災にして考える」のではなく、まちづくりや政策を学び地域で活動する学生達に、どうやって「防災の視点を交えて地域課題を考える」か、を共に模索しています。
私自身は、避難環境や災害時要支援者への支援、木造密集市街地での地域防災などについて研究しています。特に、子どもや障害者が、自らの意見を発言し反映できるような場づくりや避難所運営訓練、小規模福祉施設等の福祉施設での災害後の対応を考える等、活動を続けています。