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運営:防災推進協議会 協力:内閣府防災担当

リレー寄稿

※寄稿者様へのご連絡は、各ご所属先へお問い合わせください。

【阪神・淡路大震災25年】石川淳哉(いしかわ・じゅんや)

2020年3月20日

【阪神・淡路大震災25年】石川淳哉(いしかわ・じゅんや)

一般社団法人助けあいジャパン共同代表理事

出身地や活動地域:出身→大分県 活動地域→全国
最近の防災・減災活動:みんな元気になるトイレ 北杜市導入https://bit.ly/3buUJfD
みんな元気になるトイレ 消防専門誌フェスク寄稿https://bit.ly/3y90s4p
災害関連死ゼロサミット オンラインセミナーhttps://bit.ly/3onaQAN

1995年1月17日、その時あなたは何をしていましたか?

築地にある広告制作会社のスタッフでした。1995年はその名の通り「ウィンドウズ95」の登場年でその広告や「インテル入ってる」の広告など、パソコンが世界を席巻し、テレビも新聞も雑誌も看板も全部パソコン系の広告で埋まっていました。その二つを担当していた僕は、会社の机の下に寝袋を持ち込んで、来る日も来る日も打ち合わせ、撮影、広告制作に没頭していましたね。あんまり記憶が残ってない時期でもあります。二ヶ月後にオウムのサリン事件がありましたが、その日も寝袋に入って朝を迎えたんですが、通っていたとしたらとても危険な時間帯でした。その時の状況や心の余裕、関与度が少ないこともあり、阪神淡路大震災は正直スコープの外側で起きた一つの大きな事件としてしか捉えられていませんでした。今なら考えられないのですが「寄付」「ボランティア」「情報発信」のどれもやっていません。


あなたの25年は神戸にどう影響されましたか?

僕の災害支援の歴史は、311からなんです。48歳でしたから、遅いデビューですね。神戸には直接影響を受けていません。
ところが、防災関連の人々と知り合いになるたびに、神戸被災体験・支援体験のことを聞く機会が多く、なんだかそこに少しも関われていないため、ただただ聞き手に回るだけです(泣)その度に忸怩たる思いをしています。全共闘やロックアウトのことを時代的に知らなくて悔しがる世代ですが、1995年は32歳、時代的に…という言い訳は出来ません。今年縁あって室﨑先生の「人と未来防災センター」「兵庫県立大学」を訪ねたんです。両方とも発明的存在で、神戸の経験と知見を後世に伝える素晴らしい仕組みに圧倒されました。


それを踏まえて現在どんな取り組みをしていますか?

TEAM防災ジャパンの中では異質な存在じゃないかと思います。僕は、防災の専門家ではありません。社会課題を解決するためのコミュニケーションの専門家。そのいくつかの社会課題テーマの中に「災害時の情報支援」があるのです。地盤も滑ったが地盤も滑った2011年3月11日「助けあいジャパン」という災害支援情報サイトを作りました。
「日本初の官民連携プロジェクト」
「有益な情報は、水や電気と同じくらい重要なライフライン」
「情報を膨大にインプットして、有益な情報をよりわけて、正確に世の中にアウトプットしていく、マスメディアとはまた違う情報ステーション」
などと評価されたこのプロジェクト誕生の顛末は、共同代表の佐藤尚之のnoteに書かれています。
最近、災害が起こってからの立ち上がる情報支援の限界を感じています。起きる前、発災直後、緊急時、復旧期、復興街づくり期に分かれている災害フェーズを一気通貫したい。災害フェーズフリーを実現したい。そして、この国の災害死、災害関連死をゼロにしたい。そのために災害支援のトイレトレーラー の仕組みを開発しました。それが「みんな元気になるトイレ」です。1741自治体に一台ずつ導入することが今の目標です。
これからも社会課題を解決するためのコミュニケーションの専門家として、コレクティブアクションの担い手として機能していく覚悟です。よろしくお願いします。