寄稿者様への御連絡は、各御所属先へお問い合わせください。
防災を取り組み始めたきっかけは?
阪神淡路大震災の発生時、大阪府池田市で働いていました。何もできなかった後悔から、自衛隊に入って災害時に役立つための訓練を受けました。その経験をもとに、ふるさとである、宮城県の気仙沼に戻って地元紙の新聞記者として防災啓発の記事を連載するなど津波に備えてきたつもりでしたが、東日本大震災では想定外の大津波で、母や友人を失いました。
その後は市議会議員に転身。震災の教訓、復興の実態を伝えるため、ホームページで情報発信するなどしてきました。
きっかけは阪神淡路大震災で、東日本大震災によって、防災は私の使命になりました。
ご自身の活動の中で、一番のエピソード(うまくいったことや、いかなかったことも)という事例をひとつあげてください。
防災に関しては、失敗だらけです。
後悔しているのは、記者時代の防災記事についてです。宮城県沖地震が99.9%の確率で発生するという予測を受け、連載を手掛けるなど、防災啓発に力を入れてきたつもりだったのですが、ある研究者が発表した大津波の予測記事を小さく扱ってしまいました。それにはいろいろな理由があるのですが、結果、その想定通りの津波が襲来したわけですから、いまでも心残りです。
世間的には「想定外」という言葉を使っていますが、実は、想定はあったわけです。
認めたくない予測とどう向き合うのか、今でもどうすべきだったのか正解が分かりません。
防災活動は「つながり」が課題ですが、ご自身で感じる現状の課題についておしえてください。
気仙沼市では、宮城県が自治組織の幹部を対象に養成していた「防災指導員」、震災後に市が育成を始めた「地域防災リーダー」、市が受講費を全額補助している「防災士」という3種類の人材がありますが、そのつながりがないのが課題となっています。
自分自身としては、防潮堤問題を通して津波防災の専門家や関心が高い人たちとつながったおかげで、たくさんの学びがあり、復興に生かすこともできました。何かしら身近な共通テーマがあると、つながりが持てると知りました。
ご自身の活動の中で、繋がれるといいなぁ(繋がってよかった)と思われる(地域、企業、団体、個人など)についてご紹介ください。特に、つながれてよかった個人をリレー寄稿にご紹介ねがいます!
防災の中でも、防潮堤問題に関しては省庁のOBの方々が実情にも制度にも詳しく、つながりが持ててよかったです。また、震災後には地元で震災伝承に取り組む皆さんと知り合うことができ、継続的な取り組みにつながっています。特に震災伝承は、嫌なことも毎回思い出さなければならないため、支え合いがないと続けられませんので、仲間がいると頼もしいです。
震災の教訓を踏まえて、自主防災組織の立ち上げに取り組んでいる地域のリーダー、市の危機管理担当職員などをリレー寄稿の受け手として紹介したいです。
TEAM防災ジャパンサイトについて、期待されることについてメッセージをお願いいたします。
被災地の願いは、悲しみを繰り返さないことです。そのためには、私たちが犠牲を払って学んだ教訓を、次の災害が心配される地域へ伝えるお手伝いをしてほしいです。
いま、東日本大震災から10年に向けて、新たな記録集や証言集づくりが進められています。広げるルートがないので、その多くは地元に埋もれてしまいますが、市民がつくるそうした資料こそ本当の教訓が込められています。
ぜひ、せっかくつくった資料に光が当たるように、支援をお願いします。
- 関連タグ
-
まちづくり・建築関係
-
メディア
-
復興
-
教訓伝承
-
行政
-
議員
-
防災士