まなべる、いかせる、つながれる。防災・減災のオンライン基地。

運営:防災推進協議会 協力:内閣府防災担当

リレー寄稿

※寄稿者様へのご連絡は、各ご所属先へお問い合わせください。

森田安彦

2022年2月21日

森田安彦 (もりたやすひこ)

普代村総務課政策推進室 室長

主な活動地域:

岩手県 普代村

最近の防災・減災活動:

防災を取り組み始めたきっかけは?

平成16年、普代村の広報担当として広報紙を企画・編集する業務に就いたとき、昭和8年3月3日の三陸大津波で137名の死者を出し、1つの地域が消滅した1枚の写真を見つけたことがきっかけでした。そのころ新潟県中越地震が起きたり、スマトラ沖地震津波で30万人近くの死者・行方不明者がでたことも私にとってショッキングな出来事でした。そこで私は、「広報ふだい」平成17年2月号で、村の自然災害の歴史を特集し、備えることの大切さを訴える広報紙を作成しました。後の宮城県沖地震(東日本大震災)の危機が叫ばれる中でのことでした。


ご自身の活動の中で、一番のエピソード(うまくいったことや、いかなかったことも)という事例をひとつあげてください。

平成22年2月27日、南米チリでM8.8の大地震が発生。岩手県で初の「大津波警報」が発令されました。震災の1年前です。そのころ宮城県沖地震の発生確率は30年以内に99%。「いつ来てもおかしくない」という状況でした。しかし来た津波は90cm。「なんだ、この程度か」という住民の空気感に、私は強い危機を感じました。そして大津波警報の概要の記事と併せ、「生き延びて、今・・・」という防災企画で、昭和3年大津波を経験し、深い悲しみを秘める住民の思いを記事にしました。その1年後、東日本大震災。普代村では1名が行方不明でしたが、死者はゼロ。ただ、隣村の国道で村民7名が命を落としました。何とか救いたかった…。今でも胸に残っています。


防災活動は「つながり」が課題ですが、ご自身で感じる現状の課題についておしえてください。

災害に打ち勝つためには、ある程度の防災・減災知識や自然への理解がないと難しいと感じます。私は父が漁師だったので、子供のころから漁を手伝っていて、海の怖さは嫌というほど、実感していました。急に風が吹いてきて海が荒れる。そこで機関トラブルがあれば船は転覆。命とりです。天気や自然を読んで予測できないと一瞬で形勢は変わります。そういった私の経験からも、子供のころからたくさん自然とふれあい、自然を理解し、予測できる体験をすることが大切だと思います。そこで今行っている普代村の震災学習では、海での実体験活動もメニューに盛り込むようにしています。


TEAM防災ジャパンサイトについて、期待されることについてメッセージをお願いいたします。

震災から10年を迎える昨年は、大阪府の追手門学院大学生と共同で津波伝承絵本「普代村を守った奇跡の水門」を発行しました。東北一の高さを誇る普代水門の建設秘話を絵本にし、地元の小学生や震災学習にいらっしゃる親子などに防災学習の機会を提供しています。
岩手県内でも多くの自治体などが、震災の教訓を伝える活動をしています。このTEAM防災ジャパンサイトが、同じ思いの方々をつなげる懸け橋になることを願っています。