寄稿者様への御連絡は、各御所属先へお問い合わせください。
防災を取り組み始めたきっかけは?
1995年1月17日発生の阪神淡路大震災。報道機関が出す情報が、時間の経過とともに全体像が見えてくるというケースの大災害を初めて経験した直後の1995年4月に、防災事業室というセクションに着任したことがきっかけです。
その後、防災・災害に取組む報道機関の方や有識者の方々に次々とお会いする中で、日本列島を守る防災の取組みの大切さに関して認識を深めていきました。
ご自身の活動の中で、一番のエピソード(うまくいったことや、いかなかったことも)という事例をひとつあげてください。
阪神淡路大震災から間もないときに、損保業界の一担当者として、かけられる資金がない中で、国民への地震災害への注意喚起を行うことを課題としていました。そんな時に、NHK高知放送局と連携して、テレビ番組土曜フォーラム(当時)を制作するためのシンポジウムを高知で行い、南海地震(南海トラフ)の被害想定(地震保険支払い保険金想定総額)を業界として、初めて公表しました。
その結果、テレビと5大新聞社(朝日、毎日、読売、産経、日経)および共同通信社で取り上げられ、情報提供効果を最大化に実現できたという思い出があります。
防災活動は「つながり」が課題ですが、ご自身で感じる現状の課題についておしえてください。
阪神・淡路大震災を経験して、多くの災害を経験しながら多数のボランティア、NPOが活躍する日本となり、多くの国民が「自助」「共助」「公助」の言葉と意味を認識しました。一方、防災を我がこととして備える準備をしない人、関心のない人もいます。
地震をはじめ災害大国日本において、生活と防災を当たり前に行う社会に皆さんで連携していきたいものです。
ご自身の活動の中で、繋がれるといいなぁ(繋がってよかった)と思われる(地域、企業、団体、個人など)についてご紹介ください。特に、つながれてよかった個人をリレー寄稿にご紹介ねがいます!
防災を正面から見据えて起業する若者も活躍する兆しがみえてきました。すでに解散してしまいましたが、一般社団法人防災ガールの代表田中美咲さんの登場は、私に刺激を与えました。
防災の楽しさを世界中のみんなに、と唱えるNPO法人プラスアーツの登場も、新たな防災の歴史をつくるのではと思ったりしています。
TEAM防災ジャパンサイトについて、期待されることについてメッセージをお願いいたします。
地域の防災リーダーや防災凝視絵に携わる人、防災ボランティア、研究者、企業者実務家といった業種を超えて、防災に向かうキーマンのプラットフォームとして益々充実拡充されることを期待しています。
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