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防災関連の最新ニュースをご紹介
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【歴史・教訓】双葉の災害伝承館、3日から内容充実 実物展示、解説を順次追加/福島
東日本大震災から十年になるのを前に、福島県は双葉町の東日本大震災・原子力災害伝承館の展示内容を3日から順次、充実させる。展示物などの解説文をより詳しく、分かりやすい内容とする。大熊町の旧原子力災害対策センター(オフサイトセンター)にあった地形図などを新たに展示する。館内の展示数は現行の約170点から、3月末までに約190~200点に増える見通し。原発事故前に福島第一原発で講じられていた津波対策に対し、国会や政府の事故調査委員会がまとめた見解などを紹介する。関連死は発災から10年となる今も増え続けている実態などを説明する。県生涯学習課は「今回の追加展示で完了ではない。今後も必要に応じて工夫を重ねていく」としている。【3月3日 福島民報より】
▼東日本大震災・原子力災害伝承館
https://www.fipo.or.jp/lore/ -
【歴史・教訓】津波教訓の木碑に新たな文字刻む 岩手・大槌で建て替えワークショップ
東日本大震災で被災した岩手県大槌町の安渡地区に設置されている津波の教訓を伝える木製の碑の建て替えに合わせ、地区住民が2月28日、新しい碑に刻印する文章を考えるワークショップを町内で開いた。震災の記憶の風化を防ごうと4年ごとに碑を建て直す取り組みで、2013年に当時の大槌高生が発案した。町内会などの協力を得て「大きな地震が来たら戻らず高台へ」と刻んだ碑を、同年3月11日に地区の津波到達点に建てた。ワークショップには大槌高復興研究会の生徒9人が参加。2017年に建て替えられた碑の前で、地区に住む小国忠義さんから震災被害の状況や設置の経緯を聞いた後、地区の公民館で住民と碑の側面に刻む文言について話し合った。新しい文章は「日頃から備えておくことが笑顔につながる」「未来 帰らぬ人の想いを背負い繋いで生きていく」に決まった。碑を10日に建て替え、11日にお披露目する。【3月1日 河北新報より】
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【歴史・教訓】写真展「福島のいま」、データを無料提供
東日本大震災と東京電力福島第一原発の事故からまもなく10年。いわき市にある浜通り医療生協が、写真展「福島のいま」のデータを無料で提供している。堤防を乗り越えて押し寄せる津波、押し流され岸壁に乗り上げた重さ300トンの漁船など、「あの日」を生々しく伝える記録に加え、2020年に大熊町の帰還困難区域内で解体が始まった住宅など、被災地の10年間を記録した写真約70枚を見ることができる。これまで病院の待合室などで写真展を開いてきているが、個人にも提供可能するとのこと。【2月28日 朝日新聞より】
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【歴史・教訓】避難所の体験、朗読と映像で伝える 仙台市職員の自主勉強会がイベント開催/宮城
東日本大震災で避難所対応に当たった宮城県仙台市職員と市民の経験を朗読と映像で伝えるイベント「避難所を取り巻く人々のあの日、あの時」が23日、せんだい3.11メモリアル交流館であった。市職員の自主勉強会「Team Sendai(チーム仙台)」の主催。震災10年の節目の3月に企画する「あれから10年スペシャル」のプレイベントとして開いた。青葉区の60代町内会長の体験談では、避難者が想定の10倍の約3000人に膨れ上がり、中高校生が自主的に手伝いを申し出たことが紹介された。朗読したチーム仙台のメンバーは「今後の課題は若い人をどう防災に巻き込むかだ。子どものためなら動く親同士をうまくつなぎたい」と締めくくった。【2月24日 河北新報より】
▼Team Sendai~ 震災記録チーム
https://www.facebook.com/Team-Sendai-%E9%9C%87%E7%81%BD%E8%A8%98%E9%8C%B2%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%A0-253460525433140/ -
【歴史・教訓】大川小判決を防災に生かす 児童遺族ら仙台でシンポジウム/宮城
宮城県石巻市大川小津波訴訟の確定判決を今後の防災に生かそうと、児童遺族らの原告団は21日、仙台市青葉区でシンポジウムを開いた。基調講演をした東大大学院の米村滋人教授(民法)は、確定判決について、防災マニュアルなど事前防災の不備、学校側だけでなく市教委などを含めた組織過失を認定した「画期的な判決」と評価した。一部で、判決が教師個人に防災の専門知識を求めていると理解されていることを踏まえ「判決は個人に専門知識の習得を求めていない。市などの組織内で専門部署と連携する重要性を指摘している」と解説した。【2月22日 河北新報より】
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【歴史・教訓】福島の図書館 震度6強の2日後に開館 東日本大震災の経験生かす
福島県の相馬市図書館では、13日に震度6強を観測した地震の2日後の15日から通常どおりの開館を行っている。この図書館では、10年前の東日本大震災で、本棚が倒れるなどして復旧に時間がかかった経験から防災対策を進めてきた。図書館によると、大きな本棚どうしをつっぱり棒で支え合い、倒れないようにしたほか、小さな本棚は金具で床と固定するなどの対策をとった。さらに、本棚の最上段には滑り止めのシートをはって本が高いところから落ちないように工夫したという。こうした対策によって、今回の地震では、被害を最小限に食い止めることができたため、地震の2日後に通常どおりの開館を実現できたということである。相馬市図書館の牛安澤美智館長補佐は「10年前の東日本大震災の時は、本棚が倒れたり、本も今回より多く落ちたりしました。対策を行っていたおかげで、1日の休館ですんだので、経験を生かせたと思います」と話していた。【2月17日 NHKニュースより】
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【歴史・教訓】震度5強 宮城 白石の酒蔵 東日本大震災の経験生かし被害最小限
今月13日の地震で、震度5強を観測した宮城県白石市の酒蔵「蔵王酒造」では、10年前の東日本大震災の際に酒瓶が割れた経験を生かし、地震に強い保管のしかたに変えることで被害を最小限に食い止めることができた。具体的には、酒瓶を入れるケースを同じ方向に並べると揺れに弱くなるため、縦と横に組み合わせることで、倒れにくいようにしている。さらに、大きなラップでケース全体を包み込むことで安定感が増し、地震の揺れに強くしているということである。こうした取り組みで、今回の地震ではラップで包んでいない酒瓶が5本割れただけで、被害を最小限に食い止めることができたという。宮城県酒造組合によると、東日本大震災のあとこうした取り組みを行う酒蔵が増えていて、今回の地震での被害は10年前に比べて減っているということである。【2月16日 NHKニュースより】
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【イベント】「後悔が語り部活動の原点に」 第100回むすび塾、オンラインで開催
河北新報社など全国の地方紙、放送局でつくる「311メディアネット」は13日、第100回防災ワークショップ「むすび塾」を、各地をつなぐオンライン形式で初めて実施した。宮城県石巻市の旧大川小から20代の語り部が中継で活動を報告したほか、各地で防災活動に取り組む10~30代の11人が、東日本大震災の次世代への伝承や教訓の共有をテーマに意見を交わした。話し合いでは防災の若い担い手が一人一人、防災教育や地域の災害の語り部活動、被災地支援などを報告。小中学生ら震災を知らない世代に被害と教訓を伝える方法や、防災・減災に対する関心を高めるアイデアを出し合った。【2月15日 河北新報より】
▼特集一覧「むすび塾」/河北新報
https://www.kahoku.co.jp/special/bousai/ -
【歴史・教訓】スマトラ沖地震の教訓聞く 岩手県震災伝承館で研修会 陸前高田
岩手県陸前高田市の県東日本大震災津波伝承館で8日、同館の解説員向けの研修会があり、2004年12月のスマトラ沖地震で被災したインドネシア・アチェ州在住の日本語講師シティ・マグフィラさんがオンラインで講演した。小学生の時に被災したシティさんは「災害は必ず繰り返す。インドネシアも日本も津波から学び、未来の社会に経験を伝えることが大事だ」と強調した。震源近くのシムル島では過去の津波の経験が子守歌などで伝承され、スマトラ沖地震の時には住民がすぐに避難し、犠牲者が少なかったことも紹介した。研修会には解説員8人が参加。岩手沿岸の自治体職員らもオンラインで聴講した。【2月9日 河北新報より】
▼東日本大震災津波伝承館 WEB研修会「スマトラ沖地震の事実と教訓に学ぶ」を開催しました。
https://iwate-tsunami-memorial.jp/3857/ -
【歴史・教訓】震災遺構・荒浜小の3次元データ寄贈 「教訓伝承に役立てて」宮城県土地家屋調査士会
東日本大震災から10年を前に、宮城県土地家屋調査士会は3日、仙台市若林区の震災遺構「荒浜小学校」の外観、内部を忠実に再現した3次元測量データを市に寄贈した。寄贈したデータは見る角度を変えることができ、校舎内部や外観、周囲の様子を360度確かめられる。二つの点を指定すると、両者間の長さや高さ、幅、奥行きが画面に表示される。将来、建物の老朽化が進んだ場合、データを使って被災状況を再現した修繕が可能。データ上は震災遺構を半永久的に残すことになり、生々しい記憶を後世に伝えられる。市は調査士会がデータを任意に動かして、約3分にまとめた動画を児童生徒向けの防災教室に活用する。仮想現実(VR)用のデータももらい、立ち入り禁止区域の校舎3階をVRで見学できるよう検討する。【2月3日 河北新報より】
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【地域防災】JR肥薩線、豪雨被害の9割超「川線」 球磨川と平行、再建長期化も/熊本
昨年7月の豪雨で流失した、熊本県八代市坂本町のJR肥薩線球磨川第一橋梁と、約30キロ上流の球磨村渡にある同第二球磨川橋梁の構造物が横たわる球磨川。どちらも、JR九州が倒れた橋桁などの解体・撤去を進めており、6月からの出水期までに作業を終える予定。豪雨災害で、肥薩線は八代-吉松(鹿児島県)の86.8キロにも及ぶ区間が不通となった。復旧費は豊肥線をはじめとする熊本地震の際の総額約90億円を上回る可能性がある。中でも球磨川と平行し、「川線」と呼ばれる八代-人吉の被害は甚大。2本の鉄橋の架け替えだけでも「4、5年はかかる」という。【2月1日 熊本日日新聞より】
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【歴史・教訓】きっかけは「飛騨川バス事故」 雨量規制、全国で導入/岐阜
大雨によって落石や土砂崩れなど災害の危険性がある道路を、安全になるまで通行止めにする雨量規制。災害被害を未然に防ぐために全国で運用されているこの規制は、半世紀以上前に岐阜県加茂郡白川町で起きた「飛騨川バス転落事故」を教訓に導入された仕組み。事故当時の猛烈な雨は時間雨量149ミリで、岐阜地方気象台が観測を始めて以来の集中豪雨だった。昨年12月、事故現場を含む国道41号で、危険箇所を避ける4カ所の橋と3本のトンネルを整備する改良工事「飛水峡街道(上麻生防災)」の起工式が行われた。完了までは長い年月がかかるが、「災害に強い道路」に生まれ変われば、雨量規制を解除できる。県内にある他の規制区間には付近に高速道路や迂回路があるため、改良工事をして雨量規制を解除する必要がある場所は少ないという。【2月1日 岐阜新聞より】
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【歴史・教訓】「3.11」思い起こして 地震直後のツイート地図表示
東日本大震災から10年を迎えるのを前に、発生直後のツイッターの投稿を世界地図上に表示したサイト「東日本大震災ツイートマッピング」が公開された。地震から24時間以内の国内外の日本語のツイートのうち、位置情報が分かる約4200件のつぶやきを網羅した。東北の被災地や東京都内の混乱を生々しく実況する投稿が並び、サイトを立ち上げた東京大大学院の渡邉英徳教授(情報デザイン)は「当時の投稿に触れることで、あの日に思いをはせてほしい」と話している。渡邉教授は「投稿には非日常に直面した人々の率直な思いが写し取られている」と指摘。「つぶやきと地図を組み合わせることで、当時の状況が克明に見えてくるのではないか」としている。【1月28日 時事通信より】
▼東日本大震災ツイートマッピング
https://tweet.mapping.jp/ -
【歴史・教訓】劇で伝える震災の記憶 被災地の中高生が模索/岩手
東日本大震災からまもなく10年を迎える岩手県内の被災地では、地元の中高生が自分たちの経験をどう伝えていくか模索している。19日、宮古市の田老一中学校で岩手大学との合同授業が開かれた。オンライン会議システム「Zoom」を使って、二つの会場をつないで実施。昨年10月の文化祭で田老一中の生徒たちが発表した劇「未来と結ぶ9年間」について、震災を題材とすることの意義や難しさを話し合った。劇は、震災当日や避難所の状況、現在のまちの様子などを描いた作品で、生徒たちが自ら台本を書き、音響や照明も考えた。劇に出演した2年生の山本ゆめさんは「震災を体験していない世代にどう伝えるか。来年の劇ではそこを意識したい」と話す。山田町でも劇を通じた伝承に着目する高校生がいる。昨年春に閉校した旧大沢小学校を卒業し、現在は山田高校3年の熊谷恵利さんだ。この日、町議会で開かれた「ふるさと探究高校生議会」で熊谷さんたちは、旧大沢小で30年以上、上演されてきた劇「海よ光れ」を復活させようと訴えた。明治三陸津波(1896年)の被害から漁業を中心に復興していくまちの姿を描いた作品だ。熊谷さんたちは、東日本大震災をテーマにリメイクしてはどうかと提案。町の担当者は「大変意義がある。発表の場を応援したい」と応じた。田老一中と岩手大の合同授業を担当する山崎憲治・元岩手大教授は「震災について学びながら、自分たちで劇を作り上げていくプロセスが重要。地域の防災を考えるきっかけにもなれば」と期待を込める。【1月20日 朝日新聞より】
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【普及啓発】防災記事をプリント 土産袋3000枚を配布 県内6カ所/兵庫
神戸新聞社は防災に関する記事をプリントした土産袋3000枚を作り、JR三ノ宮駅など兵庫県内6カ所で配った。神戸新聞社、福島民報社、熊本日日新聞社による共同事業。県外からの旅行客向けに昨年3月11日、3社が一斉に配布する予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大で延期になり、再企画。阪神・淡路大震災、東日本大震災、熊本地震が起きた日に合わせてそれぞれが配布することとした。【1月18日 神戸新聞より】
▼宣伝会議 阪神・淡路大震災から26年、神戸新聞・福島民報・熊本日日新聞が共同プロジェクト
https://www.advertimes.com/20210118/article335378/ -
【歴史・教訓】若者が震災の語り部活動/兵庫
17日、阪神・淡路大震災の追悼のつどいが開かれた兵庫県神戸市の「東遊園地」では、全員が震災後に生まれた10代と20代のメンバーでつくる市内の市民団体「1.17希望の架け橋」が、震災についての語り部活動を行った。会場に設けられたテントには当時、壊れた建物やボランティアの人たちを撮影したおよそ80枚の写真が展示され、メンバーが防災の専門家や震災の経験者から学んだことをもとに語り部活動を行った。語り部の話をきいていた神戸市の男子中学生は、「自分たちと同じように震災を知らない世代の人たちが継承活動をしていることはすばらしいと思いました。僕たちも興味を持っていろいろ調べ、震災の教訓や経験を伝えていきたいです」と話していた。【1月17日 NHKニュースより】
▼1.17希望の架け橋's Ownd
https://1-17kibounokakehashi.amebaownd.com/ -
【歴史・教訓】「震災遺産」詳細な図録に!県立博物館作成 人の物語にも焦点/福島
福島県立博物館は、震災関連資料を展示する企画展「震災遺産を考える」が16日に開幕するのを前に、同館が集めた関連資料の図録を作成した。A4判約150ページの冊子には、震災発生の午後2時46分すぎで止まった美容室の看板時計、中学校に残されていた「探し人」の貼り紙などが収録されている。図録の作成では、収集した場所や日付などを記載するだけでなく、資料に関係する人たちの「人物紹介」にも力を入れた。内山大介主任学芸員は「震災遺産は見ただけでは分からない。関わる人たちのストーリーと共に収集しなければ、ただのガラクタになってしまう。背景も含めて集めなければならないことが、ほかの文化財と違う特徴」と説明する。内山学芸員は「ものとそれにまつわるストーリーを知れば、『うちでも同じ被害があった』『自分ならどうしただろう』と考えるはず。自分なりに震災10年を振り返るきっかけにしてほしい」と話している。【1月15日 福島民友新聞より】
▼福島県立博物館 震災遺産を考える ―次の10年へつなぐために―
https://general-museum.fcs.ed.jp/page_exhibition/special/2020winter -
【歴史・教訓】震災10年へ命語り継ぐ舞台 五つの物語 仙台で17日/宮城
岩手県を拠点に、東日本大震災を題材とした舞台を制作し続ける会社がある。震災から10年を前に、今月には仙台市などで公演を開き、5つの物語からなるオムニバス作品を上演する。企画した「みんなのしるし合同会社」は岩手県大船渡市を活動の拠点とし、被災者への聞き取りを基にミュージカル「いのちてんでんこ」を制作。全国を回り、50回ほどの公演を重ねてきた。今回の主題を「いのちのかたりつぎ」とした。代表の前川十之朗さんは震災から10年を「活動の新たな始まりとして捉えたい」と語る。背景には、記憶の風化が進んでいることへの危機感がある。上演されるのは、車を運転中に津波に遭遇した男性とAI搭載のカーナビとの「会話」を描いた作品や、福島県在住の詩人、和合亮一さんの詩をモチーフとした「Fukushima Voice」、「いのちてんでんこ」の一部などを披露する。【1月13日 朝日新聞より】
▼みんなのしるし いのちのかたりつぎ 公演決定
https://minnanos.com/2020/11/17/kataritugi/ -
【災害想定】津波対策の高台移転「実施・計画」が4割超
今後30年以内に70~80%の確率で起きるとされる南海トラフ地震。その津波被害が特に懸念される太平洋側の139市町村のうち、4割超の計62市町村が東日本大震災後、公共施設の高台移転を実施、または計画していることが、朝日新聞のアンケートでわかった。国の想定では、南海トラフ地震が起きた場合、最悪でマグニチュード9.1の地震が起き、津波などによる死者・行方不明者数は最大で約23万1千人に上る。東日本大震災の津波で危機管理対応の要となる庁舎の浸水が相次いだ教訓から、国は庁舎建設の財政負担を軽減する制度を設けるなど、高台移転を推し進めてきた。同社は今月「津波避難対策特別強化地域」になっている千葉から鹿児島までの14都県139市町村にアンケートを行い、すべてから回答を得た。2015年にもこの地域に同様のアンケートを実施している。【12月21日 朝日新聞より】
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【歴史・教訓】広島の災害史 学ぶ資料展 南区
広島を襲った自然災害の歴史について紹介する特別展が、広島県広島市南区の市郷土資料館で開かれている。会場では、江戸期や明治期以降に発生した大規模な地震、水害について解説するパネルや写真、地図などを展示している。パネルでは、毛利氏の後に広島城主となった福島正則が、城側の堤防を高くするなど治水対策に取り組んでいた経緯について紹介している。水害の被害を軽減するため、太田川放水路が整備された経緯についても触れられており、学芸員の川橋奈織さんは「先人たちも度重なる災害を経験し、減災のために工夫を凝らしてきた。日常から災害への備えを意識するきっかけになれば」と話していた。【12月20日 読売新聞より】
▼広島市郷土資料館 特別展 広島の災害の歴史
http://www.cf.city.hiroshima.jp/kyodo/html/00top/topfrm.htm