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防災関連の最新ニュースをご紹介
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【防災教育・啓発】旧大川小から「備え」訴え 311次世代塾、初のオンライン中継授業/宮城
東日本大震災の伝承と防災啓発の担い手育成を目指し、河北新報社などが運営する通年講座「311『伝える/備える』次世代塾」第4期第5回講座が、5日開かれた。「被害の現場」と題し、児童74人と教職員19人が犠牲になった石巻市の旧大川小から、初めてオンライン中継で授業を行った。大川伝承の会共同代表の佐藤敏郎さんが講師を務め、学生ら80人が受講した。「震災で助かった人は念のために行動した人。大切な人の命を思うことが『念のため』のギアを上げる」と話し、備えの重要性を訴えた。講義後、受講生からは「被災前の生活や子どもたちの輝く命に目を向けることが、本気で防災を考えるきっかけになると感じた」といった声が寄せられた。【9月7日 河北新報より】
▼東北福祉大学 伝承講座「311『伝える/備える』次世代塾」
https://www.tfu.ac.jp/research/s9n3gg0000004yu6.html -
【歴史・教訓】南海トラフ地震の津波被害、海底地滑りで増大 過去5000年間で駿河湾沿岸に4回襲来
静岡県焼津市の駿河湾沿岸で地質調査などをしたところ、過去五千年間に南海トラフ巨大地震による津波に4回襲われ、うち1096年の永長東海地震と1498年の明応地震では、海底で生じた地滑りによって被害が増大した可能性があることが分かったと、静岡大や東京大のチームが31日に発表した。チームの北村晃寿・静岡大教授(古環境学)は「海底地滑りが起きて想定以上の被害が出ることを考慮した津波対策が必要だ。調査を続け、地滑りの規模と頻度を明らかにしたい」と話した。チームは2015年から、焼津市浜当目の12カ所でボーリング調査し、採取した津波堆積物を分析。紀元前3000年以降、4回の津波の痕跡を見つけた。マグニチュード8クラスの地震の発生間隔は90〜270年とされるが、紀元前3000〜紀元後1000年の約4000年間で確認できた津波は、紀元前805〜紀元前405年にあった1回だけ。かつては海岸から延びた砂の防波堤が存在し、浸水を防いでいたとみられる。【8月31日 中日新聞より】
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【技術・仕組】防災行政無線が聞けるスマホアプリ導入へ 都内初、八王子市が9月から
八王子市が9月1日、都内で初めてスマートフォンアプリを使って防災行政無線の放送内容を音声で配信する取り組みを始める。石森孝志八王子市長が、8月28日に行われた記者会見で明らかにした。市は昨秋の台風19号襲来の際、豪雨の中、緊急放送の音声が聞き取りにくいなどの声があったことから、避難情報などを確実に伝える体制を整備しようと計画。本年度予算に、789万円を計上し進めていた。防災行政無線の緊急放送を、アプリを使って配信するのは都内初。今回は住民向け防災放送アプリ「コスモキャスト」を使って、防災行政無線で放送したものと同じ音声を配信する。【8月31日 八王子経済新聞より】
▼八王子市防災行政無線による放送について
https://www.city.hachioji.tokyo.jp/emergency/bousai/m12873/saigai/p023737.html -
【歴史・教訓】播磨7市町、最大5メートル超浸水 兵庫県が「最悪」高潮想定
兵庫県は31日、「想定し得る最大規模」の高潮が播磨沿岸(明石市~赤穂市)で発生した場合、対象の8市町のうち明石市を除いた7市町で浸水が最大5メートル以上になる、とする想定区域図を公表した。徒歩での避難が難しくなる0.5メートル以上の浸水面積の合計は、加古川市とほぼ同じ144平方キロメートルに及ぶ。国は2015年の改正水防法で、最悪の高潮を想定した浸水想定区域図の公表などを義務付けた。県は阪神、神戸地域を公表済みで、今回は播磨沿岸と淡路島沿岸を対象にした。浸水は1934年の室戸台風などを参考に、「500~4000年に1度」クラスの台風が、潮位が最も高い状況で上陸して全堤防が決壊し、河川も「100年に1度の大雨」で氾濫したとの想定で予測した。【8月31日 神戸新聞より】
▼兵庫県 想定し得る最大規模の高潮浸水想定区域図の公表
https://web.pref.hyogo.lg.jp/press/20200831_6002.html -
【歴史・教訓】室戸台風の岡山市被害を克明に 里庄出身・佐藤清明氏の手紙発見
岡山県里庄町出身の博物学者・佐藤清明氏(1905~98年)が、34年9月の室戸台風による岡山市の被害状況を知人に知らせた手紙が見つかった。当時住んでいた市街地を中心に、浸水の程度を地図で示した。西大寺まで一面が湖のようになった様子や、現在のJR岡山駅周辺が見舞客と避難者で大混雑したことなども詳しく記されている。今夏、地元有志らでつくる佐藤清明資料保存会が里庄町の植物研究者・横溝熊市氏(1897~1977年)の資料の中から、封筒に入っていない八つ折りの手紙を発見、字体などを確認して佐藤氏の書とした。多数届いた見舞状の返事としてガリ版刷りされた物で、経緯は不明だが、横溝氏に宛てた物と推測している。同会顧問の木下浩さんは「室戸台風の資料は、行政の公的文書や写真が多く保存されているが、被災者自身が書いた資料は珍しいのでは」と話している。手紙は30日まで、里庄町立図書館(同町里見)の「里庄のせいめいさん展」で展示している。【8月24日 山陽新聞より】
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【防災教育・啓発】土佐高生が日米学会で優秀賞 潮江地区の液状化研究
土佐高校2年の高橋孝弥さんがこのほど、日米学術団体の合同学会で研究発表し、高校生部門で優秀賞に選ばれた。南海トラフ地震時に液状化現象が起きる高知市潮江地区では、地盤沈下による浸水で避難が困難になる道路があると指摘する内容で、高橋さんは「研究成果が避難経路の見直しなどに役立てば」と話している。液状化では地盤沈下が起き、そこに川や海などの水が流れ込むこともある。東日本大震災で小中学生が素早く避難した「釜石の奇跡」に興味を持った高橋さん。土佐高校のある潮江地区は液状化が発生するが、予測される津波到達時間30分の間に、「釜石の奇跡」のように最寄りの避難ビルの上層階へたどり着けるか―昨年9月から約44月間、研究した。高橋さんはインターネット上で公開されている地盤情報などを基に、県の公表データより4倍細かいエリア別に液状化予測をはじき出し、道路の浸水量を試算した。結果、高知市が示す避難路でも通行に時間を要する道路や、回り道をしなければならない場所を確認。最大で現状の1.5倍の時間を要し、30分以内の避難が困難な住民もおり、現状の訓練の見直しや、さらなる避難場所の整備が必要とまとめた。【8月24日 高知新聞より】
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【歴史・教訓】水害の備えに先人の知恵 山形・庄内地方に風化防ぐ遺構残る
7月末の記録的豪雨により河川の越水が起きた山形県庄内地方に、先人の知恵を生かした自前の対策で水害に備えた川沿いの集落がある。山形、秋田両県境にそびえる鳥海山の麓、山形県遊佐町高瀬地区の中山集落。2級河川、月光川の支流、洗沢川の右岸約500メートルに並ぶ約20世帯は、石積みの多段式の自営堤防に守られている。石堤建設の経緯を伝える記録はないが、少なくとも戦前には整備されていたといい、集落の先人が手を入れてきたとみられる。今なお現役で、河川行政の関係者は「水害対策の歴史を伝え、今も活用される貴重な構造物だ」と評価する。集落は石堤の上にあり、川に向かって各戸が石垣と門を隙間なく築いている。門柱や敷石に彫った幅5センチほどの溝に板を落とすと、石垣と門と板が面的に連続する防水壁となる。1級河川の赤川に支流の梵字川が合流する鶴岡市熊出集落にも自衛策が見える。赤川左岸の堤防直下には敷地の周囲に石積みの塀を設けたり、門柱の間に板をはめる仕掛けを施したりした家々がある。集落では過去に氾濫が繰り返し発生し、江戸時代の古文書「奥羽道程記」にも現在の市中心部を守る上で治水の要所と記された。今なお現役で、河川行政の関係者は「水害対策の歴史を伝え、今も活用される貴重な構造物だ」と評価する。【8月17日 河北新報より】
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【防災施策】丸森町、九州被災自治体のためHPに連絡先掲載 ノウハウ役立てて/宮城
昨年10月の台風19号被害からの復興に取り組む丸森町は、災害対応業務のノウハウや経験を九州豪雨の被災自治体に役立ててもらおうと、ホームページに担当部署の連絡先一覧表を設け、市町村に利用を呼び掛けている。生活支援や衛生、福祉など分野別に掲載している。九州豪雨の発生を受け、7月下旬に始めた。罹災(りさい)証明の申請受け付けや災害ごみ、税の減免、仮設住宅入居、避難所の運営、ボランティアの受け入れなど約30項目あり、担当課が被災自治体からの質問に対応する。町は6月に「復旧・復興計画」をまとめており、同種の計画策定に向けたアドバイスも想定する。熊本、大分両県の被災14市町村には電子メールで協力の姿勢を伝えている。【8月3日 河北新報より】
▼丸森町復興推進本部会議開催状況
http://www.town.marumori.miyagi.jp/fukkou/honbukaigi/saigaihukkouhonbuinfo.html -
【地域防災】土のう作り、家庭配布で減災へ 鹿沼・中粟野自治会/栃木
中粟野自治会は2日、初めての土のう作り講習会を旧粟野第2小学校校庭で、約60人が参加して行った。昨年の台風19号の被害を踏まえ、事前に土のうを準備し各家庭に分配しておくことで減災につなげることが狙い。同12月に被害や地域防災について話し合い、出席者から「土のうの配布依頼が殺到したが、豪雨の影響でとても作れる状況ではなかった」などの意見があったのを受けて開いた。市消防団の指導で、1袋約25~30キロの土のう130個を作成。土のう袋の口を縛る方法や、袋の口を下流に向け隙間無く積み上げることなどを学んだ【8月3日 下野新聞より】
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【歴史・教訓】県内犠牲98人被災6万戸「昭和42年豪雨」教訓次代へデジタル資料完成/兵庫
約半世紀前に兵庫県内で死者・行方不明者98人を出した「昭和42(1967)年7月豪雨」について、インターネット上で当時の写真や体験者の声に触れられるデジタルアーカイブが完成した。昨年完成した阪神大水害(1938年に発生)のデジタル資料に追加する形で、7月から22点が公開されている。九州を中心とする記録的な豪雨など、各地で水害や土砂災害が相次ぐ中、制作した実行委員会は「六甲山系と共に生きる人々の備えの一助になれば」としている。【7月20日 神戸新聞NEXTより】
▼兵庫県CGハザードマップ/過去の洪水記録(昭和42年)
http://gakusyu.hazardmap.pref.hyogo.jp/bousai/kouzui/history/1967_07.html -
【歴史・教訓】球磨川氾濫「記録上、最大の浸水深」 熊本大調査「昭和40年7月洪水」上回る
記録的豪雨による1級河川・球磨川の氾濫などで熊本県南部を中心に甚大な被害が広がった九州豪雨で、球磨川流域の同県人吉市などを現地調査した熊本大くまもと水循環・減災研究教育センター(熊本市)は、今回の氾濫による浸水深が戦後最大とされてきた「昭和40年7月洪水」を上回り、記録に残る球磨川水害では最大級だったとの見方を示した。日本三大急流の一つで「暴れ川」の異名を持つ球磨川は過去にも度々氾濫して水害をもたらしてきた。昭和40年7月洪水では家屋の損壊・流失が1281戸、浸水は床上と床下で計1万2825戸。国土交通省八代河川国道事務所によると、その後も「平成23年6月洪水」まで少なくとも9回の洪水被害が起きている。今回の水害で国宝指定の5棟のうち拝殿や幣殿などが床上浸水した人吉市上青井町の青井阿蘇神社。神社の横の電柱には昭和40年7月洪水の時の浸水深が2.3メートル、1971年の「昭和46年8月洪水」の時の浸水深が1.1メートルと記録されているが、今回の浸水の跡は3メートルの高さに達していた。神社の数百メートル下流で、より球磨川に近い同市下青井町の電柱は昭和46年水害が1.1メートル、昭和40年水害が2.1メートル、今回は4.3メートルの高さに浸水痕があった。【7月13日 毎日新聞より】 ▼熊本大学くまもと水循環・減災研究教育センター 2020 年7月豪雨に伴う熊本県南部における災害調査速報(第1報) https://cwmd.kumamoto-u.ac.jp/wp/wp-content/uploads/2020/07/report_20200708.pdf
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【歴史・教訓】台風19号被害 宮城・丸森町の災害検証委が基本方針案を提言 避難所見直し、河川監視/宮城
昨年10月の台風19号豪雨直後の対応を振り返り、防災体制の改善を図る宮城県丸森町の「災害検証委員会」が、16項目の基本方針案をまとめた。想定浸水域や土砂災害危険区域にある避難所の見直しや、カメラによる河川の監視体制強化などを提言した。町のホームページなどで基本方針案を公開。6月1日まで町民から意見を募り、同月内に保科郷雄町長へ最終報告する。町は地域防災計画の見直しに基本方針を反映させる。基本方針案は「土砂災害や洪水に対応できない避難所を開設した」と反省点を挙げ、「安全で安心な避難所を設定する」との姿勢を示す。想定浸水域内でも上階への垂直避難が可能な場所は避難所とし、福祉避難所の拡充も盛り込んだ。氾濫した新川と五福谷川周辺に監視カメラを新設する。新たな観測地点として水位計と雨量計の設置も検討し、避難の判断材料にする。警戒レベルの発令は、町内8地区それぞれの地形的特徴を考慮せず全域一律としていた点を改め、地区ごとの発令にする。迅速な避難誘導に向け、町管理の要配慮者・避難行動要支援者名簿を自主防災組織や行政区長に配布する基準を規定化する。「配布のタイミングが遅かった」との反省を踏まえた。避難の呼び掛けは、防災行政無線の音声が聞こえにくい例があったため、町が配信する住民登録型メールなどで無線と同じ内容を伝える。冠水で孤立した町役場の代替施設や後方支援拠点の候補地として、舘矢間小校舎、旧丸森東中体育館、国民宿舎あぶくま荘などを検討する。【5月25日河北新報より】
▼丸森町復旧・復興基本方針
http://www.town.marumori.miyagi.jp/data/open/cnt/3/5657/1/houshin.pdf -
【歴史・教訓】福島第1原発事故で避難 川俣・山木屋の住民62人、思い一冊に 薄れる記憶に危機感/福島
東京電力福島第1原発事故で一時避難を余儀なくされた福島県川俣町山木屋地区で、住民62人による東日本大震災の体験をまとめた冊子「震災の記憶 山木屋では」が完成した。2017年3月の避難指示解除から3年余。地区住民らに寄稿を呼び掛けた山木屋公民館長広野隆俊さんは「避難を経験しなかった町民や町外の人にも広く読んでもらいたい」と話す。地区に暮らしていた10~80代の住民が不安な夜を過ごした体験、避難解除前後の思いなどを振り返った。冊子には復興事業の一覧や年表も載せた。発起人の広野さんは、以前から被災記憶の伝承の必要性を感じていた。震災と原発事故の2年後に講演を依頼されたが、未曽有の原発事故と避難生活を経験したのにもかかわらず、既に記憶が薄れつつあることに気付いたという。館長就任10年目に地元の役に立つ仕事をと考えた時、真っ先に被災経験を伝える冊子が思い浮かんだ。19年7月ごろから、地区住民約100人を1軒ずつ訪ね歩いて趣旨を説明した。当初は実名での寄稿を渋る住民もいたが「誰がどんな思いで書いたのか分からなくなる。自分の家だけでなく、町の宝として震災の記憶を子や孫に伝えたい」と粘り強く訴えた。共感してくれた62人分の原稿を公民館が編集し、地区の復興拠点となっている商業施設「とんやの郷」の来場20万人記念事業として町が約700部を発行した。冊子はA4判、115ページ。地区住民に配ったほか、残部は町内の各公民館や町役場にも置いた。【5月21日河北新報より】
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【歴史・教訓】過去学び防災の一助に 「笠岡の地震 日本の地震」発刊/岡山
岡山県笠岡市内の歴史愛好家でつくる「笠岡町の歴史を知る会」(大塚善彦会長)は、過去の大規模地震による地域の被害を住民の証言や史料を基に記録した冊子「笠岡の地震 日本の地震」を発刊した。南海トラフ地震の発生が高い確率で予測される中、市民が過去に学び、防災意識を高める一助になれば―との思いを込めた。同会は旧笠岡町に当たる市中心部の笠岡、中央町地区の11人が会員。2012年に発足後、先人の足跡を今後を生きるヒントにしようと、地域の歴史にまつわる本を随時まとめている。今回は重要性が叫ばれる防災をテーマに設定。昨年5月から作業を進めてきた。冊子は3章構成で、第1章は東海沖から九州沖まで延びる南海トラフ沿いの紀伊半島西側を震源とする昭和南海地震(1946年)について記述。「経験したことがない激しい揺れ」(当時21歳の女性)、「散髪屋がつぶれ、寺のお墓がほとんど倒れた」(同12歳女性)など、旧笠岡町に住む高齢者に広く記憶を尋ね、19人から得た体験談を収めている。第2章では、南海トラフ沿いで起きた大規模地震を列挙し、笠岡での被害に関する記録を史料から拾っている。江戸後期の安政地震(1854年)では、商人とみられる「大津屋安兵衛」が液状化のような現象や火災の発生、長引く余震について書き残していることを紹介。第3章は、笠岡市周辺の断層を震源とする地震が起きた際の被害想定などを記した。大塚会長は「巨大地震はいつ起きてもおかしくない。備えの大切さを改めて伝えたい」と話している。A4判、110ページ。200冊作った。市立図書館に寄贈するほか1冊千円で販売している。問い合わせは、同会が加盟する笠岡地区まちづくり協議会(0865-63-5949)【5月19日山陽新聞より】
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【歴史・教訓】熊本地震で甚大な被害、益城町が震災記録誌
熊本地震で甚大な被害を受けた熊本県益城町が「震災記録誌」を発行した。被災状況や復旧・復興の進捗(しんちょく)状況を記すだけでなく、地震直後の町職員の混乱や町民の声なども盛り込み、読み応えのある記録誌になっている。益城町は熊本地震で2度の震度7を記録し、死者45人(直接死20人、関連死25人)、135人の重傷者が発生した。町内全住家の98.6%(1万584棟)が損壊被害を受け、町本庁舎や総合体育館、道路、橋などの公共インフラも被災した。「人員不足もあり、災害対策本部機能も麻痺(まひ)した」「(建物の応急危険度判定で)住民からは『危険判定だとボランティアが来ないから判定結果を変えてくれ』という要望さえわき起こった」――。誌上では現場の混乱ぶりやトラブルを生々しく伝えている。【5月15日 毎日新聞より】
▼▼益城町 『平成28年熊本地震 益城町震災記録誌』の公表について
https://www.town.mashiki.lg.jp/bousai/kiji0033823/index.html -
【歴史・教訓】益城町「震災文庫」デジタル化 避難所掲示の貼り紙、メモ、写真/熊本
熊本地震で甚大な被害が出た熊本県益城町は、避難所に掲示された貼り紙やメモ書き、写真といった震災関連資料のデジタル化に乗り出す。町民などから寄せられた資料5000~1万点をデータにして保存し、被災の記憶を次の世代へと引き継ぐ取り組みである。資料は町交流情報センター「ミナテラス」が収集した。センターは避難所の閉鎖後も資料を廃棄せず、館内の空きスペースに保管。「震災文庫」と名付け、資料提供を呼び掛けていた。センターによると、時間の経過とともに現物が散逸したり劣化したりする恐れがあることから、神戸や東北の被災地の事例を参考に、スキャンしてデータで保存することを決めた。個人情報も含まれるため公開については未定。一部は閲覧可能にしたいという。【9月12日 西日本新聞より】
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県内災害5300件 年表 奈良時代以降 網羅/三重
地震や風水害、大雪、飢饉など過去に県内で起きた災害を網羅した年表を、県立伊勢まなび高校(伊勢市)の新田康二教諭が作成し、本にまとめた。主に奈良時代以降の史料や自治体史などから拾い上げた災害の数は5,300に上る。新田教諭は「毎年のように災害に襲われてきた歴史を知り、将来の命を守るために活用してほしい」と話している。新田教諭が災害史に向き合うきっかけは、東日本大震災であり、熊野灘に面した南勢校舎のグラウンドに押し寄せる津波を目の当たりにした時である。その後、県内沿岸に残る津波の教訓などが刻まれた石碑を調べ歩き、警鐘を鳴らす報告書を刊行した。年表はこれに続く第2弾と位置づけている。「大震災から6年が過ぎ、人々の間から記憶が薄れつつある」。こうした危機感が年表の作成に駆り立てたといい、「将来の災害で命を救うための知恵になれば」と話している。【5月30日 読売新聞より】
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地域の惨禍語り継ぐ 羽越水害50年で復興記念事業/新潟
羽越水害発生から50年となる今年、管内で浸水被害があった新潟市北区では27日から、羽越水害とその前年に発生した下越水害の記憶を語り継ぐ復興記念事業が始まる。区郷土博物館(嘉山)では旧豊栄町の記録写真などを展示する企画展がスタート。6月18日には「北区治水シンポジウム」を開催し、防災意識を高める。区郷土博物館は、旧豊栄町を上空から撮影した写真や、舟に乗って移動する被災者の写真などを、7月1日まで展示。入場無料で月曜休館。また、治水シンポジウムは、「伝える記憶 つながる未来」と題し、区文化会館で開催する。パネリストに二つの水害の対応に当たった旧豊栄町の元消防団員などを招いて、水害の記憶と備えについて話し合う。このほか、北区内では28日に阿賀野川総合水防演習を実施。6月18日には葛塚地区で合同防災訓練や、救援物資の仕分け、炊き出しのワークショップを開催する。【5月27日 新潟日報より】
▲新潟県北区「北区治水シンポジウム~伝える記憶 つながる未来~」
https://www.city.niigata.lg.jp/kita/torikumi/kita_chisui.html
▲山形河川国道事務所「忘れない、災害への備え~羽越水害から50年~」
http://www.thr.mlit.go.jp/yamagata/river/uetsu50/event50/ -
震災の記憶伝承する場に 志津川高に資料室/宮城
東日本大震災の教訓を残そうと、宮城県志津川高校は校内に震災資料室を開設した。南三陸町の被害状況や避難所となった同校の様子を写真や映像で紹介している。教職員や生徒が震災の記憶を語り継ぐ場を目指す。資料室は1階の教室を使って整備した。津波でがれきが押し迫る登校坂や、最大500人が滞在した同校避難所の運営を手伝う生徒の様子など約800枚の写真を展示した。被災した町民バス復活のために、生徒が手作りして販売したモアイの缶バッジや他校からの応援メッセージも飾った。生徒会長の3年菅原遙人さんは「震災を体験した者として記憶を風化させてはならないと強く感じる。他地域からも来てもらい、防災対策を見直すきっかけにしてほしい」と語った。【5月26日 河北新報より】
▲宮城県志津川高等学校Facebook
https://www.facebook.com/shizugawahs/?hc_ref=PAGES_TIMELINE -
住民目線で防災ブック 京都・福知山、危険箇所の情報共有
京都府福知山市夜久野町の住民が、町の危険箇所や過去の災害被害をまとめた独自の防災ブックの作成を進めている。自治会に加入する1,262世帯にアンケートを取り、防災に役立つデータを収集し、住民目線の詳細なまちの情報を、日頃の防災に役立てようとしている。 同町自治連合会の水谷博会長は、東日本大震災の被災地・岩手県陸前高田市にボランティアとして赴き、住民一人一人が地域の危険性を把握し、日頃から情報を共有することの重要性を感じた。このため、高齢化率が5割を超え、避難困難者が多く出ることが懸念される夜久野町の防災対策として発案した。防災ブックは本年度中の完成を目指している。水谷さんは「行政が把握しきれない住民の声を防災に生かしたい。完成後も更新を続け、過去の災害の教訓や地域の特徴を次世代につなぐブックを作りたい」と話している。【5月23日 京都新聞より】