寄稿者様への御連絡は、各御所属先へお問い合わせください。
・防災に取り組み始めたきっかけは?
1995年の阪神・淡路大震災でのボランティア活動がきっかけです。それまでは、清掃ボランティアやイベントボランティアをやっていたので、その延長線上の活動として、避難所となっていた学校施設でボランティアをしました。その後、2004年の三重県豪雨災害の際に、海山町災害ボランティアセンターの副センター長を経験することになり、そのときの体験が、災害に遭うよりも前に、減災活動へ取り組むことに関心を持ちました。
・ご自身の活動の中で、一番のエピソード(うまくいったことや、いかなかったことも)という事例をひとつあげてください。
災害現場では、チェーンソーなどの動力資機材を使用したテクニカルボランティアが主ですが、現場の必要性とは裏腹に、現地の災害ボラセンとのすき間を埋めるのに苦労します。一方、2004年の海山町災害ボラセンで、寄せ集めの仲間たちとともに、13日間で述べ5千人を越えるボランティアに活動してもらえたことと、2014年の丹波水害で、災対本部とテクニカルボランティアのコーディネートができたことが記憶に残っています。
・防災活動は「つながり」が課題ですが、ご自身で感じる現状の課題についておしえてください。
2011年の東日本大震災以降、災害ボランティアの活動形態に変化があった気がします。
災害ボラと総称されても、金銭のやりとりがある仕事の場合と、純然たるボランティアとして活動している場合の二極化が顕著になっています。しかし、災害時のボランティア活動の全てが、無償であることにも一定の疑問を持っていたので、仕事であれボランティアであれ、被災地に向き合うことに変わりなく、このあたりの共有が気になります。
・ご自身の活動の中で、繋がれるといいなぁ(繋がってよかった)と思われる(地域、企業、団体、個人など)についてご紹介ください。
活動の主なステージは、日常です。災害時を非日常と置き換えて、日常でいかに動けるかが、非日常で転嫁すると考えています。そのため、拠点となる熊野の中山間地域で、農業や里山保全をしながら、自らの研鑽と集団行動での動線などを学んでいます。また、そこで繋がる人たちや組織団体とは、非日常でも連携が可能となり、直接支援や後方支援で共有することができます。なお、繋がれるところとは、分け隔てすることはありません。
・TEAM防災ジャパンサイトについて、期待されることについてメッセージをお願いいたします。
災害ボランティアの多様性は、支援の形を手厚くします。しかし、多様性は取りまとめる先があってこそ、それぞれの特長や特技を活かしきることができます。このサイトもそういった1つであると感じますし、中間支援であるこのようなハブが繋がることで、支援の輪は回転しやすくなり、前にもときには後にも進めます。僕たちは弱小のテクニカルボランティア団体ですが、災害時に活動しやすいハブになってくれることに期待しています。
- 関連タグ
-
ボランティア
-
各種法人