
2020年3月28日
【阪神・淡路大震災25年】大月浩靖 (おおつきひろやす)
三重県いなべ市 危機管理課)
日本活断層学会会員・日本自治体危機管理学会会員
危機管理士1級
1995年1月17日、その時あなたは何をしていましたか?
私は当時高校生で、私の住んでいる三重県でも震度4の地震が発生し、人生で初めて多きな地震を経験しました。あまり地震の経験していない私にとって、揺れた瞬間は布団を被る事が精一杯の行動であったと思います。私の住んでる地域では被害もなく学校も通常登校となり普段と変わらず授業をしていました。
しかし、授業の合間には神戸が大変な事になっているという情報が飛び交っており、当時は携帯電話が普及していなく、被害の情報も錯綜していたように記憶しています。
あなたの25年は神戸にどう影響されましたか?
近隣で発生していた震災にも関わらず、完全に他人事のように学生時代を過ごしてきました。しかし、入庁して防災の仕事をし始めた時に、初めて阪神淡路大震災の被害状況や復興について振り返ると共に、神戸にある人と防災未来センターの研修を自ら希望し受講しました。当時の研究員から防災について学んだことが、私にとって防災に取り組むターニングポイントだったように思います。特に阪神・淡路大震災での直接死の死因の多くは窒息死、圧死であり、建物の耐震がいかに重要であるかを学びました。
災害をいかに我が事としてイメージすることが難しく、大切であるかを自分自身の経験から学びました。我が地域での最大の災害リスクは直下型地震であり、阪神・淡路大震災の教訓を生かさなければならない地域であり、耐震やいつ起こるかわからない災害に対して地域での講話を通じて事前の備えを伝えています。
それを踏まえて現在どんな取り組みをしていますか?
毎年多発する災害の被害状況を把握し、被災地でさまざな事を学び、地域へ伝えることを大切にして仕事をしています。阪神・淡路大震災を我が事として行動できなかったことを反省し、地域の皆さんには平時からの取り組みの大切さや、復興への重要さを伝えています。また、学校や職場など、さまざまなところからアプローチをしながら、防災教育を進めることによって、地域の防災力の向上や防災行動力に繋がると思っています。
また、被災地で災害対策本部のマネジメントの経験から、いかに被災地が迅速に災害モードに切り替え、被害程度の見立てをするか需要であると考えています。そのためには平時からの訓練やトレーニングが重要と考えています。しかしながら自治体は災害対策方法を学ぶ前に異動し、どの自治体も対応能力の持った職員を育成していくのを苦慮しているのが現状です。それを支援するために、ある程度の知識を持った人が被災地に入り災害対策本部のマネジメントを実施する必要があるため、まずマネジメントをする人の知識の向上をしていく必要があると考えています。そのため、総務省では災害マネジメント総括支援員・支援員の登録制度を作りました。私自身も研修の講師として参加し、被災地でのマネジメントのポイントを伝えていき災害対応の標準化を進めていきたいと思っています。
昨年、愛知県で開催された「ぼうさいこく」において、東海圏内の多くの防災関係者と繋がりができました。引き続き東海圏内の防災関係者とのネットワークを構築し、さまざまな団体と連携を進めていきたいと思います。