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リレー寄稿

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【阪神・淡路大震災25年】弘中秀治(ひろなか・しゅうじ)

2020年3月12日

【阪神・淡路大震災25年】弘中秀治(ひろなか・しゅうじ)

山口県宇部市役所員、気象予報士

生年月日:1967年
出身地:愛知県名古屋市生まれ 山口県出身
大分大学経済学部卒業後、宇部市役所入所
最近の防災・減災活動:
1996年(平成8年)から17年間、 宇部市防災危機管理課で防災業務に取り組む
日本気象予報士会九州・沖縄地区担当理事、内閣府防災ボランティア活動検討会メンバーなど

あなたにとって、阪神・淡路大震災とはなんですか?

私にとって阪神・淡路大震災は、本市の、そして私の『防災の原点』です。
大震災の衝撃の中、2か月後に地下鉄サリン事件があり、さらに、半年後、宇部市では琴芝水害が発生し、県内初の防災専門部署「防災室」が設置されました。
それまで、本市では、庶務課庶務係が、多数の業務のうちの一つとして、「防災も」していました。当然、じっくりと取り組むことができていませんでしたが、「防災室」が設置されることで、しっかりと取り組むことができるようになりました。
私自身にとっても、地域防災計画の全面改訂(緊急消防援助隊、災害ボランティア等の追加を含む)等を通じて、防災のことを幅広く知るきっかけとなると同時に、組織全体で災害にどう取り組んだらよいのかを考えるきっかけとなりました。


社会にとって、阪神・淡路大震災はどういう課題を残し、それはどれだけ解決したと思いますか?

阪神・淡路大震災が起きるまでは、行政が公に防災対策が「できません」と言うことは、社会的に許されない雰囲気がありました。それまでは、行政主導の防災が中心で進んでおり、多くの首長も「行政に任せてください」と言い、多くの方も「行政に任せていれば安心安全だ」と思い込んでいました。
しかし、大震災によって、約44万棟が全半壊し、大火が発生したこと等々の現実の前には、自然の脅威とともに「行政の限界」を受け止めざるを得ませんでした。また一方、多くの方にも、「行政に任せているだけでは安心できない」ことに気づかされた災害でした。
そのような中で、「住民同士の助け合い」が、当たり前のように自然発生的に生まれたことや地域内外を問わず多くの「ボランティア」が駆けつけたことは、すばらしいことでした。当時は、ほとんどの方が初めてのボランティア体験で、手探りの中で活動していました。そのため、必ずしも効果的な活動となっていなかった面もあったかもしれません。
しかし、その後、毎年のように開設される災害ボランティアセンターへ、その思いが受け継がれ、様々な工夫が続けられ、今では、災害後に、災害ボランティアセンターが開設されることは、当たり前になりました。


残された課題の解決のために、社会には何が求められるとお考えですか。そのために、あなたは何をされていきますか。

防災対策については、行政であっても、災害ボランティアセンターであっても、平常時にどれだけトレーニングできるか、準備できるかが大切だと考えています。そして、被災した時には、迅速に被害程度の見立てをすること、自組織の(あるいは地域の)の対応能力を超えているのかどうかを判断して、外部支援の判断を24時間以内にできるかについて啓発等をしています。
また、年々多様化するニーズに対応できるように、多様な主体との連携等に努めます。