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運営:防災推進協議会 協力:内閣府防災担当

リレー寄稿

※寄稿者様へのご連絡は、各ご所属先へお問い合わせください。

三松三朗(みまつ・さぶろう)

2017年1月11日

三松三朗(みまつ・さぶろう)

三松正夫記念館 館長
三松正夫記念館:1943-45年の有珠山噴火を詳細に観察記録した「ミマツダイヤグラム」などを残した地元郵便局長の全資料を保管展示している。特別天然記念物の昭和新山は三松家の所有物で、館の屋外展示物。

生年月日:1937年5月15日
出身地:大阪府吹田市
最近の防災・減災活動:
①1977年噴火写真集編纂/発刊 変形A4 P113 岡田弘・三松三朗他
②有珠山明治・昭和火山活動資料集 A4 P375 壮瞥町郷土史料館友の会
*公文書、内部資料を読解 特に昭和新山生成期の警察極秘資料は論文と三松正夫資料を補完する貴重資料。(2016年9月公開許可)

・防災に踏み込んだ(取り組み始めた)きっかけは?

壮瞥町は、昭和新山生成の詳細な記録を残した郵便局長の出身地であり、私は後継者のいない三松家を引継いだ。当然のことながら火山防災の定着した地と思い込んでいたが、1977年には揺れ動く大地の中で昭和新山爆発再現花火大会が決行され、翌朝前兆から32時間後に噴火、噴煙柱は成層圏に達した。もし花火大会第2日目催行中であればと戦慄の思いであった。その後5年間の火山活動中何の反省もなく住民パワーで火山に勝った意識が横溢、次期噴火に備える防災意識構築の必要性を感じた。


・ご自身の活動の中で、一番のエピソード(うまくいったことや、いかなかったことも)という事例をひとつあげてください。

地域の我々が火山の恵みで生活している以上、時に火山が火山らしい本性を示した時には謙虚に身を引く、火山を知る啓発活動を1982年以後行政・大学の支援を得て無数の防災啓発活動を積み重ねた。
2000年有珠噴火時、人身事故ゼロの成果は100%の住民の避難行動にあった。壮瞥町の避難所に無数の取材班が押し掛けたが、自主運営による避難所状況と「大変だ、困った」と火山と行政の悪口を言わない空気に、ここではニュースにならないと即日退散、快適な避難所を維持できた。
※この話は、内閣府の一日前プロジェクトにも再録されている。(平成12年(2000年)有珠山噴火「準備万端でクールに受け止め」)


・防災活動は「つながり」が課題ですが、ご自身で感じる現状の課題についておしえてください。

残念ながら人間のパワー発揮期間と火山災害のスパンとのズレは大きい。2000年噴火から16年を経過、官学民のキーパーソン・顔の見える関係も薄れつつある。この弊を除くため、エコミュージアム・ジオパーク構想の採用で、「災害遺構」を保全して防災ツールとして活かし、防災の心の継承者として火山マイスター認定制度を構築した。現在の認定者43名に託している。


・ご自身の活動の中で、繋がれるといいなぁ(繋がってよかった)と思われる(地域、企業、団体、個人など)についてご紹介ください。

全国各地の火山系ジオパークの「核」として博物館系施設及び推進のリーダー的人材が連携。本来はローカルな火山との付き合いをグローバル化し、情報・知識の共有化をはかっている。


・TEAM防災ジャパンサイトについて、期待されることについてメッセージをお願いいたします。

防災というとややもすると予知・制度・情報に特化する傾向にある。が、不可能に近い「地象」については上意下達のシステム構築に頼らず、ハード整備を優先せず、防災のソフト面の意識構築に寄与頂きたい。