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運営:防災推進協議会 協力:内閣府防災担当

リレー寄稿

※寄稿者様へのご連絡は、各ご所属先へお問い合わせください。

澤田雅浩(さわだ・まさひろ)

2017年8月28日

澤田雅浩(さわだ・まさひろ)

兵庫県立大学大学院 減災復興政策研究科 准教授

出身地:広島県広島市
最近の防災・減災活動:内閣府地区防災計画アドバイザーとしてモデル地区の計画づくり支援、NPOふるさと未来創造堂理事長としてこども防災未来会議(新潟県)の開催 など

・防災に取り組み始めたきっかけは?

大学院修士1年時に発生した阪神・淡路大震災です。関東にいましたが、目覚まし代わりのラジオから普段と違う感じが伝わってきて急ぎ研究室に向かい、そこでテレビのニュースに釘付けになりました。その後、先生の伝手で神戸大学の室﨑研究室の調査に少しだけ関わらせてもらって現地に足を踏み入れました。それまで漠然と考えていた都市のインフラを近代化することで生活の質を向上させるような計画論への指向が、まちに残されたストックの上手な活用による冗長性の確保へとシフトしていきました。


・ご自身の活動の中で、一番のエピソード(うまくいったことや、いかなかったことも)という事例をひとつあげてください。

2000年から17年間、新潟県長岡市の長岡造形大学にいました。2004年に発生した新潟県中越地震は、被災者として、支援者として、研究者として様々な経験をする場になりました。エピソードは数多くありますが、県が復興基金を作ってその運用を始めようとした当初、県の震災復興支援チームと集落を回り、臨機応変なメニューの作成、支援をする視点を共有することができたこと。あくまで行政が復旧することが災害復興の要諦と明言していた当時の長岡市長を台湾921地震の被災地にお連れし、地域を支える人材がコミュニティと向き合いながらそのプロセスを歩んでいる姿を見てもらいました。帰路、「やっぱり復興は人が大切だ」と市長が発言され、復興支援員への手厚い支援につながったのは数少ないうまくいったエピソードです。


・防災活動は「つながり」が課題ですが、ご自身で感じる現状の課題についておしえてください。

新潟県中越地震の復旧・復興プロセスのいたるところで直接的な支援が全国各地から寄せられました。とはいえ、そういった支援はたとえば行政には全国の行政職員の支援、ボランティアはボランティア、そして大学などの研究機関は研究機関といったように、「つながりやすい」主体間での動きが主になりがちです。中越地震の被災地では比較的横断的なつながりが合ったようにも思います。中間支援組織の尽力、行政機関の理解がそれを実現したと思いますが、地元の高等教育機関の役割もそれ相応にあったように思います。というのも、復興基金が地域の復興に着目しながら、柔軟に事業メニューの設立と提供を進めた背景に、阪神・淡路大震災の経験が生かされただけでなく、先にも紹介したように1999年に発生した台湾921地震の被災地復興における基金の役割が研究成果として整理され、提供され、さらには市長などの現地訪問につながるのは大学が果たした役割もあるからです。多様な経験や視点を持ちつつ、方向性を共有しながら連携していけるようなつながりづくりは、やはり日頃のまちづくりのさまざまな場面で構築された信頼関係も重要であるように思いますが、それらを確保するのは意外と難しいようにも思います。


・ご自身の活動の中で、繋がれるといいなぁ(繋がってよかった)と思われる(地域、企業、団体、個人など)についてご紹介ください。

防災や災害復旧・復興に熱意や理解を持つ行政職員の方と一緒に取組を進められるのはこの立場ならではなのかもしれないといつも感謝しています。この分野はボランティアをはじめ,民間セクターがどんどん深化していっていますが、やはり行政の役割も大きいものです。特に地方や中山間地域などでは、行政職員は地域住民としてみても期待されるべき人材です。そういった方々が「腑に落ちて」「さまざまな業務を相互補完的かつ総合的に」防災減災の取組につなげられ、さらには普段のまちづくりへと展開されていたりする場に居合わせると、こちらもますます努力をしなくては、と思います。


・TEAM防災ジャパンサイトについて、期待されることについてメッセージをお願いいたします。

ネット上でバトンを渡していくのも良い取組ですが、どこかの段階で一堂に会する機会などあっても面白いかもしれません。