リレー寄稿
地域防災の担い手をご紹介
【関東大震災100年】吉川忠寛(よしかわただひろ)
株式会社防災都市計画研究所 代表取締役所長
- 主な活動地域
- 東京都 全域
- 最近の防災・減災活動
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2023年11月 内閣府が開催する令和5年度「津波防災の日」スペシャルイベント 「関東大震災から100年、これまでの災害経験を踏まえた津波の備え」のパネルディスカッションに登壇。
https://tsunamibousai.jp/report/11/index.html
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関東大震災から100年経ちましたが、教訓として伝わっていると考えられることはなんですか?
関東大震災の教訓として長年伝承されてきた神田和泉町・佐久間町の住民らによる命がけの消火活動には、それを可能とする、いくつもの根拠ある好条件が重なっていたこと、また、その「震災美談」が、第二次世界大戦で軍によって防空施策に利用され、1937年防空法の「避難の制限と消火の義務付け」につながり、その結果、焼夷弾攻撃中の消火活動で多くの犠牲者を出したことが明らかにされてきた。 災害教訓は時代によって、それを解釈する人によって変わりうる。それが誰による何に基づく何のための教訓なのか、慎重さを失わないこと。いま、関東大震災級の地震が起きたら、心配なこと、解決していないと思う課題はなんですか?
地震火災に関しては、たとえば東京では、1969年の江東再開発基本構想や1996年の防災都市づくり推進計画、2012年の不燃化特区制度などが進められてきたが、それでも、とくに建築基準法42条2項許可基準でも建替えできない老朽木造家屋が多く残る密集市街地があること。ハード整備とソフト対策が融合された地区レベルの防災計画が必要であること、マンション防災や電気火災への意識が低いこと。 他方、津波避難に関する100年の教訓を今後の避難対策にどう適用すべきなのかは、いまだ検証されていない重要な課題。関東大震災からの100年に学び、子孫たちに何をどう伝えていくか、考えていることをお聞かせ下さい。
津波避難に関しては、関東大震災では災害教訓の伝承により被害軽減を果たした好事例が複数確認できたが、そのいずれもが「想定内」の津波だからこそ成り立った可能性があること、東日本大震災では安渡地区が「想定外」と「要支援者」の逃げ遅れの教訓伝承のため地区防災計画を策定したこと、さらに、能登半島地震の下出地区では「想定外」の津波に対し「要支援者」を含む全員が安全に避難できた要因として、東日本大震災後のソフトとハードの備えが十分に生かされたこと。 災害教訓はどの災害の教訓かによって意味が変わる。ある「想定」下で身につけた災害教訓は「想定」を超えたときに無力化され、甚大な被害をもたらすことを忘れてはいけない。吉川忠寛さんのこれまでの寄稿はこちら