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【関東大震災100年】福和伸夫(ふくわのぶお)

名古屋大学 名誉教授、あいち・なごや強靱化共創センター

主な活動地域
愛知県 名古屋市
最近の防災・減災活動

関東大震災から100年経ちましたが、教訓として伝わっていると考えられることはなんですか?

火災の怖さ、公園や広幅員道路などの延焼対策、不燃化、建物の耐震化、災害情報の大切さなどは大きな教訓だと思います。これらは、後藤新平を中心とする帝都復興計画や、1924年に市街地建築物法への耐震規定の導入、1925年のラジオ放送開始などに活かされ、現在の防災まちづくりの基本になっています。9月1日を防災の日と定め、毎年、防災訓練や防災報道が行われるようになったことも大切だと思います。それに加え、震災予防調査会を東京大学地震研究所に衣替えし、地震研究や防災研究をけん引する組織ができたことも意義があると思います。さらに、今村明恒を始め、防災教育の大切さが認識されたことも大切な教訓の一つだと思います。

いま、関東大震災級の地震が起きたら、心配なこと、解決していないと思う課題はなんですか?

人口の過度な集中、都市の危険地域への拡大、ハザードを無視した土地利用、家屋の密集、建物の高層化、エレベータ依存、第3次産業に偏った産業構造、エネルギーや食糧の他地域への依存、インフラの老朽化、ライフラインの相互依存、沿岸部の危険物、地域コミュニティの弱体化、帰宅困難、エッセンシャルワーカーの他県居住、効率性と安全性とのアンバランス、全体像が俯瞰できず足元が危うい不透明な社会などが原因して、想定外の事態が発生することが心配されます。基本は「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」で、あらゆる国民が災害をわが事と思い、東京を始め各地域が地産地消で、自律・分散・協調型の国土に変える必要があります。

関東大震災からの100年に学び、子孫たちに何をどう伝えていくか、考えていることをお聞かせ下さい。

私も矢守先生に倣って、子供に伝えたい寺田寅彦のメッセージを記します。「悪い年回りはむしろいつかは回って来るのが自然の鉄則であると覚悟を定めて、良い年回りの間に十分の用意をしておかなければならない」「人間は何度同じ災害にあっても決して利口にならない」「戦争はしたくなければしなくても済むかもしれないが、地震はよしてくれと言っても待ってはくれない」「文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその激烈の度を増す」「理屈はぬきにして古今東西を通ずる歴史という歴史はほとんどあらゆる災難の歴史である」「モノを怖がらなさ過ぎたり、怖がり過ぎたりするのは優しいが、正当に怖がることはなかなか難しい」

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