リレー寄稿
地域防災の担い手をご紹介
向山建生(むこうやまたてお)
特定非営利活動法人減災ネットやまなし 理事長
山梨県韮崎市・北杜市防災委員
韮崎市地域減災リーダー連絡協議会 会長
逸翁・耳庵研究所 代表、元山梨大学客員教授
- 主な活動地域
- 山梨県 全域
- 最近の防災・減災活動
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生年月日:1949年3月30日
出身地:山梨県韮崎市
最近の防災・減災活動:研究論文 令和2年度『今、私たちにできること「家庭と地域の減災力強化」』A4版56ページ
訓練指導 令和2年9月 ウイルス感染対策に配慮した「住民主体の避難所開設訓練」韮崎市立韮崎北東小学校
新聞掲載 令和2年7月 新型新型コロナウイルス感染対策「感染予防への事前の分散避難先の選定」山梨日日新聞
募金活動 令和2年7月14日~17日 韮崎市内6団体協働を主導し、韮崎市役所エントランスにて7月豪雨募金活動
新聞掲載 令和元年11月 『台風19号を踏まえて「地区タイムライン」の必要性』山梨日日新聞 - ソーシャルリンク
防災を取り組み始めたきっかけは?
私自身が10歳の時に昭和34年8月の台風7号で被災し、従姉妹が平成7年の阪神・淡路大震災で被災しました。阪神・淡路大震災から4日目に現地へ支援に入り、事態に驚愕しました。 その後、平成12年に山梨総合研究所に在籍していた折、市町村が策定する地域防災計画を担当したのですが、①内容が他市町村のコピーに近い、②市民がまったく関与していない、③職員が減災の意味を知らない ことなどから、平成12年度より減災研究に着手することにしました。 平成16年度からはBCP研究に着手し、平成21年9月に、専門家12名で特定非営利活動法人減災ネットやまなしを設立しました。ご自身の活動の中で、一番のエピソード(うまくいったことや、いかなかったことも)という事例をひとつあげてください。
うまくいったことは、NPO設立直後に事務所を置いた韮崎市と減災協定を締結して、その後に東日本大震災が起きたことから防災委員につき、韮崎市を実証実験の場として防災対策を体系的・計画的に整備と訓練が展開できたことです。 なかでも、いざというときに機能する自主防災組織を支える地域減災リーダーの育成が、目標値を達成できたこと。そのおかげで、国から2度も表彰を受けました。 うまくいかなかったことは、他の市町村で減災への理解がなかなかすすまないことです。その理由として、①頻繁に防災担当が変わること、②庁内が強い縦割りだということ の2つが大きいと感じています。防災活動は「つながり」が課題ですが、ご自身で感じる現状の課題についておしえてください。
現在課題に感じていることは3つあります。 ひとつ目は、前項に示した韮崎市以外の行政内では防災対策への庁内連携ができないこと。 福祉担当の避難行動要支援者さえ、防災担当が対応するよう固定概念が強いです。これからは防災と福祉・介護・教育・建設の横連携を必要とします。 ふたつ目は、地区・地域内の高齢化が進行しているため、一旦高まった共助力が持続できず徐々に低下すること。 みっつ目は、令和元年10月の台風19号の分析から、行政から早く警報が出ても「避難しない」「何とかなる」と思い込み、避難行動を起こさなかった市民が多かったこと。ご自身の活動の中で、繋がれるといいなぁ(繋がってよかった)と思われる(地域、企業、団体、個人など)についてご紹介ください。特に、つながれてよかった個人をリレー寄稿にご紹介ねがいます!
該当する個人や団体は多いですが、その筆頭に釜石市両石の瀬戸元(はじめ)さんをあげたいと思います。釜石の奇跡の立役者の一人です。 瀬戸さんは、発災当時は地区長で、釜石の海岸域の集落に伝えられていた「命てんでんこ」を重視し、普段から率先避難の訓練を繰り返していました。 特段、子どもや老人の命を守ることを重視していたので、東日本大震災で奇跡が起きました。そのとき彼は冷静に住民を避難誘導し、さらに後生のために貴重な映像記録を残しています。 「被災がなくても、僕は何度でも避難する」といった中学男子の言葉が示す通り、普段の心がけが大切であることを教えてくれました。TEAM防災ジャパンサイトについて、期待されることについてメッセージをお願いいたします。
行政が変わらなければ、地域防災はレベルアップしません。 「市民を助ける」という意識から、「市民を助けられない」と言い切り、さらに「被災は自己責任」とも強く言い切ることが必要で、そこを気づかせる方策に期待しています。- 関連タグ
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