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内閣府政策統括官(防災担当)
協力
防災推進協議会

リレー寄稿

地域防災の担い手をご紹介

寄稿者様へのご連絡は、各ご所属先へお問い合わせください。

阿部一彦(あべかずひこ)

気仙沼市立唐桑中学校教頭

主な活動地域
宮城県 気仙沼市
最近の防災・減災活動

生年月日:昭和41年4月25日
出身地:宮城県石巻市
石巻市牧浜の漁師の家に生まれ。平成元年3月,東北学院大学卒業,4月白石市立福岡中学校教諭。平成3年〜4年,生徒の寄宿舎の舎監となる。 その後,鳴瀬町立鳴瀬第二中学校(7年),女川町立女川第四中学校(8年),女川町立女川第一中学校(3年)などに勤務し,平成25年4月より,気仙沼市立唐桑中学校教頭。
 女川第四中学校の社会科や道徳,総合的な学習の時間等の授業で,「鳴り砂研究」(平成16年),「旧日本海軍の極秘特攻部隊と中学生の交流」(平成17年),「磯焼け(海の砂漠化)防止研究」(平成19年〜21年)「石巻出身の弁護士・布施辰治の人類についての道徳資料から日韓の交流についての記録映画の発表」(平成19年〜21年)を実施する。
最近の防災・減災活動:
 東日本大震災では,鈴鹿市のNPO法人「愛伝舎」の坂本久海子様のご支援により始まった「希望のえんぴつプロジェクト」で,女川町内全ての小・中学校の児童生徒に文房具など届けていただく。平成24年7月世界防災閣僚会議で被災地の代表として,1000年後の命を守るため,子どもたちが「3つの津波対策案」を発表。平成25年2月,子どもたちが「女川・命の石碑」の募金活動をはじめ,同年11月第1石碑が建立される。(現在7石碑建立)
子どもたちの活動により,平成19年宮城県教育公務員弘済会教育論文最優秀賞(「人類愛の尊さに気づき,自ら活動しようとする生徒の育成」),平成20年宮城県優秀教員,平成21年文科省表彰,平成22年女川町教育員会表彰,平成24年宮城県教育校務員弘済会教育論文最優秀賞(「1000年後の命を育もうとする生徒の育成」),平成26年度東京書籍教育賞で全国最優秀賞(「1000年後の命を育もうとする生徒の育成」)などを受賞させていただく。
現在は,1000年後の命を守る子どもたちとともに,「いのちの石碑」と『いのちの教科書づくり』を進めている。
ホームページアドレス: http://inotinosekihi.com/

・地域防災にはまったきっかけは?

東日本大震災時に女川第一中学校にいた私は,教え子や親戚,友人などたくさんの方々,そして愛するふるさとそのものを津波で失いました。あの時,こんなちっぽけな存在でしかない私にできることは,流されてしまった女川町役場や消防,金融機関等の関係者が土足で出入りしている廊下を水拭きすることと,校舎内で1ヶ月間避難することになった子どもたちの側にそっと寄り添うことだけでした。 宮城県内の中学校で最も早い4月8日に新学期を迎えるため,知人の協力により,町内の全ての小中学生にえんぴつとノート等を届ける「希望のえんぴつプロジェクト」を3月30日にスタートさせていただきました。(今回の震災で最も早く始まった被災地を支援する民間の支援団体になったそうです)しかし私は,制服も何もないまま入学してきた中学1年生64名の学年主任として,それぞれの家族の安否を,「震災前と家族の人数に変化ある?」と涙ながら確認することができたのは6月初めのことでした。 想像をはるかに超えた極限の状況が続く中で,私は,この64名の子どもたちから沢山のことを教えてもらいました。担当する社会科の初めての授業で私は子どもたちに「ふるさと女川が大変なことになった。小学校の社会科で学んだことを生かして,何ができるか考えてみよう」と問いました。大人でも明日がどうなるのか分からない状況で子どもたちは口々に,「漁業を復興させたい」「津波の歴史を調べたい」等と語り出したのです。学校が再開して直ぐ,ある方からいただいた言葉で,私は残された人生が決まりました。「山の上にある学校から子どもたちの声が降ってくる。これが私たち大人の生きる源なんですよね。私は役場の職員ですから大人のことをします。先生,子どもたちをお願いします。それぞれの人がそれぞれのことをすれば,この子たちのために何かできますよね」 私たちの祖先が1000年以上の年月を掛けて築き上げてきたふるさとがなくなってしまいました。しかし,最も大切な,子どもたちの命が残っていたのです。その子どもたちの命の輝きが,私たちの生きる源であり,私の今を支えてもらっています。

・地域防災に関わって、改めて大切だと感じたことは?

地域の防災を進めていくために大切だと考えているのは,「知る」「関わる」「追求する」の3点です。 先ず,地域を「知る」については,震災後,子どもたちと女川町内にある20数ヶ所の縄文時代を調査しました。今回記録された中で最大の43mもの津波が襲った女川町で,それらの遺跡には津波は到達していませんでした。「そのことを生かしていれさえいれば・・・」社会科の教員として,悔やんでも悔やみきれません。この活動を通して子どもたちは,の出した結論は,「歴史を学ぶ」→「過去のことを知る」→「未来を創造する」との結論を出しました。また,牡鹿半島で生まれ育った私は,小さい頃,祖父母たちから囲炉裏端で「ずっと,ずっと前の津波の話」を聞いていました。私の浜では,今回の津波は正にあの話の高さまでしかきていませんでした。地域の防災をするためには,まず,地域の歴史や地理的状況等をしっかりと「知る」ことが最も大切だと思います。 地域から学んだことを生かすためには,小中学校の児童生徒,地域の住民,地方自治体,そして,防災・町づくりに関係する世界中の方々と「関わる」ことが次に必要になってきます。女川町では,中学1年生が社会科の授業「女川町の地理的な特徴を生かした津波の被害を最小限にする対策案を考えよう」で考えた3つの対策案,(1)絆を深める,(2)高台に避難できる町づくり,(3)記録に残す,を実現させるため,生徒64名で議論を重ね,国連防災会議や世界防災閣僚会議などでの発表など中学校を卒業後も継続して活動を続けています。その中で,保護者の協力を引き出し,地域住民や町当局,そして,世界中の方々とご支援をいただきながら活動を行っています。 ふるさと女川町をはじめ,日本全国そして世界の多くの方からご支援とご協力をいただきながら4年間活動を続けている女川の子どもたちの合言葉は,「1000年後の命を守るために」です。東日本大震災により,人口の約8%以上の尊い命が失われ,女川町の死亡率は,55.9%[死亡率=(死者数+不明者数)/(死者数+不明者数+避難者数)×100]となるなど,いずれも今回の大震災で最も高くなっています。「もう二度と,自分たちと同じ悲しみや苦しみを繰り返したくない!!」との強い願いがこの活動の原点となっています。中学1年生が考えた3つの対策案は,「女川いのちの石碑」として,町内にある21の全ての浜の津波到達点に津波からの避難を呼び掛ける石碑の設置につながっています。更に,子どもたちは,自分たちが体験したことや学んだことをまとめ,津波から全ての命を守るために『いのちの教科書』づくりに取り組んでいます。子どもたちの1000年後のよりよいふるさと作りに参画する活動となり,震災から復興を目指すふるさとの人たちを励まし,支えている存在にさえなっています。地域防災を実現していくためには,地域の一人一人の命を守ろうと「追求する力」が必要であると考えます。

・地域防災・減災に取り組んでみて感じる今の社会課題は?

学校が中心になって取り組む活動には限界があると考えていました。その理由は,中学校では3年間しか生徒は中学校に在籍することができません。中学校を卒業すると,同じ所に住んでいても,それぞれ進学する高校が違ったり,地学地域の高校に進学するために転居する生徒もいます。そのため,3年間という短い時間でやれることは限られてしまいます。更に,教員も数年で転勤してしまうため,学校として地域と関わりながら活動を継続していくことは難しいのです。 しかし,女川の子どもたちが取り組んでいる「1000年後の命を守る」活動は,一人一人が命の大切さと向き合いながら,一つ一つ積み上げていった活動でした。人類史上2例目となる,津波の威力で倒れた鉄筋コンクリートのビルの保存について,「広島の原爆ドームと同じで,津波の恐ろしさを伝える記念館にしよう」と考えたのは,マスコミ等で震災以降が話題となる1年以上前,震災のから1年後の6月のことでした。さらに同じ頃に,「ただの記録ではなく,震災から命を守る術を記録した,教科書を作ろう」と考えました。また,21の石碑を作るために修学旅行などで募金活動をして半年で1000万円以上を集めることができました。(防災集団移転工事等が終わるのは,まだまだ先で,現在7基しか石碑を建てることができていません。) 子どもたちは,これらの活動の執着地点として,今回の震災と同じ規模の震災が再びやってくると言われている「1000年後」を見つめるようになりました。高校2年生として学校生活や部活動で忙しい中で,月2回ほど集まって活動を続ける子どもたちは,「この活動は少なくても自分が死ぬまで続けます」と平気な顔をして答え,周囲の大人たちに衝撃と感動を与え続けています。 私がこれまで勝手に考えていた学校教育,地域防災の限界は,真の学校教育をしていなかった証拠であると思います。様々な困難や課題を乗り越える答えは,「全て子ども中にある」と,私はあの子どもたちから教えられ続けています。

・TEAM防災ジャパンの一員に推薦!という方をご紹介ください。

(1)高成田 享(たかなりた とおる) 様 仙台大学教授,元朝日新聞者論説員,ニュースステーションキャスター,政府の東日本大震災復興構想会議委員,東日本大震災こども未来基金(NPO法人)理事長など (2)加藤 拓馬(かとう たくま)様 復興支援団体「からくわ丸」代表

・TEAM防災ジャパンへの想い、メッセージをお願いいたします。

「1000年後の命を守りたい!!」,「自然災害から全ての人の命を守る『命を守る教科書』を作りたい!! 」 女川の子どもたちが自分たちの生涯を掛けて実現させたいと願っている夢です。これまで4年間,子どもたちの夢を実現させるため,多くの方にご指導,ご支援をいただきました。改めて感謝申し上げますとともに,子どもたちの夢を一つでも実現させることで,一人でも多くの人の命を守りたいと思います。私一人では支えることができないことも出てきています。子どもたちの活動にご指導,ご支援いただける方は,「いのちの石碑プロジェクト」のホームページ(inotinosekihi.com)の“お問い合わせ”からご連絡いただけますよう,お願い申し上げます。
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