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防災関連の最新ニュースをご紹介
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【歴史教訓】高校生の震災体験が絵本に「防災教育に役立てて」/岩手
岩手県立大槌高校の復興研究会の3年生3人が、自分たちの震災体験をもとにした絵本「伝えたいこと あの日、私は小学2年生だった」を作った。5月27日に母校の町立大槌学園を訪れ、「防災教育に役立ててほしい」と松橋文明・学園長に贈った。学園を訪れたのは、小学2年のときに東日本大震災に遭い、津波に追われながらも高台に避難して助かった佐々木結菜さん、藤社彩乃さん、土沢葵さんの3人。昨夏、3人は避難途中に見た津波にのまれる家々の光景や失った友人のこと、避難生活で味わった心細さなど、それぞれの体験と思いをつづり、同高美術部員の協力で「防災紙芝居」を完成。阪神大震災の被災地や学校、集会などで上演する活動に取り組んできた。【5月29日 朝日新聞より】
▼岩手県立大槌高校 復興研究会
http://www2.iwate-ed.jp/oht-h/reconstruction.html -
【歴史・教訓】国などが普賢岳防災事業を視察 大火砕流惨事からもうすぐ29年
梅雨や台風のシーズンを前に、島原市や国、長崎県の関係者らが26日、雲仙・普賢岳の噴火活動で形成された溶岩ドームの崩壊対策など市内4カ所で進められている防災事業の現場を視察した。消防団員や報道関係者ら43人が犠牲になった1991年の大火砕流惨事から6月3日で29年になり、視察は現状把握のため同市が実施して8機関から約50人が参加。このうち、溶岩ドーム先端から約3.5キロ下流にある警戒区域内の赤松谷川3号床固工(とこがためこう)そばでは、国土交通省雲仙復興事務所の田村毅所長が溶岩ドーム崩壊に備えた監視、観測体制と砂防事業のほか、6月以降に着手する除石工事や砂防設備の修繕などを担う新事業「砂防管理」について説明した。同事務所によると、普賢岳山頂付近に不安定な状態で堆積した溶岩ドームは、ペイペイドーム(福岡県)53杯分の1億立方メートルと推定。これまでに島原市側に約1.3メートルずり落ちているのが確認されており、地震や豪雨による大規模な崩壊の可能性が指摘されている。普賢岳噴火災害に伴う警戒区域は96年6月の噴火終息宣言後も継続され、今も溶岩ドームの東側を中心に約950ヘクタールが設定されている。【5月27日長崎新聞より】
▼雲仙復興事務所
http://www.qsr.mlit.go.jp/unzen/ -
【歴史・教訓】日本海中部地震から37年 合川小で避難訓練 / 秋田
日本海中部地震から37年になる26日、秋田県北秋田市の合川小学校で避難訓練と防災集会があった。この地震では、統合前の旧合川南小学校の児童13人が男鹿半島で津波の犠牲になった。192人の児童らは犠牲者らに黙禱(もくとう)し、津波が発生したら高い場所に逃げると誓い合った。避難訓練は午前10時半、緊急地震速報を校内に放送して始まり、児童らは一斉に机の下に隠れ、その後、地震で火災が発生したとの想定で各教室から校庭に避難。防災集会では、武石祐子校長が「日本海中部地震では津波で多くの子どもたちが流され、13人の尊い命が犠牲に。自分の命を守る知識を身につけよう」と呼びかけた。その後、5年生が「海辺での災害と避難」、6年生が「現在起きている地震・災害と旅先での避難行動」をテーマに学習成果を発表した。【5月27日朝日新聞】
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【歴史・教訓】震災対応の教訓、後輩職員へ 仙台市が伝承プログラムを作成へ
宮城県仙台市は、東日本大震災の対応に当たった職員の経験や教訓を後世に引き継ぐため、宮城教育大と連携し、職員間伝承プログラムの構築に乗り出す。阪神・淡路大震災を経験した神戸市などの事例を調査。市職員有志が始めた災害エスノグラフィー調査の活用法も検討し、職員研修用の教材開発を進める。震災発生から丸9年が経過し、当時を知らない震災後入庁の職員は全体の約3割を占める。発生1年と5年の節目に記録誌を発行して行政対応は形に残したものの、職員研修で活用することは少ない。データブックの記録誌に載っていない「生きた教訓」の伝承は、職場に任されている。宮教大との教材開発は年度内に終え、災害対応の教訓を学ぶプログラムを作り、2021年度からの研修に生かす。市防災環境都市・震災復興室の担当者は「震災後に入庁した職員は今後、さらに多くなる。来年3月に震災10年の節目を迎えるのを前に、当時を知る職員の経験、教訓を受け継ぐ仕組みを確立し、次の災害に備えることが重要だ」と話した。
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【歴史・教訓】資料20万点、閲覧伸びず 有効活用促す工夫必要 開設3年、熊本地震デジタルアーカイブ
熊本地震に関する写真や文書などの記録をデータ化し、一般に公開している熊本県の「デジタルアーカイブ」が4月で開設3年を迎えた。これまでに集めた資料は当初目標の20万点を突破した。一方で利用は伸び悩んでおり、専門家は「次の展開を考える時期に来ている」と指摘する。大勢の被災者が身を寄せ合う体育館、支援物資の配布時刻が書き足された避難所の掲示板、道路や農地の被害をまとめた自治体の会議書類…。県のアーカイブには、地震発生初期の混乱ぶりを克明に伝える資料が並ぶ。事業は2016年9月、資料の散逸を防いで熊本地震の記録を後世に残そうと、有識者会議の提言を受けて着手した。市町村や民間にも協力を呼び掛けて写真や行政文書を中心に幅広く収集した。【5月19日熊本日日新聞より】
▼熊本県 熊本地震デジタルアーカイブ
https://www.kumamoto-archive.jp/ -
【歴史・教訓】震災10年目のノウハウ発信 「東北復興文庫」立ち上げ/宮城
NPO法人の運営支援などに取り組む宮城県仙台市の一般社団法人「グラニーリデト」が、東日本大震災からの復興に向けた市民の取り組みを伝える出版レーベル「東北復興文庫」を立ち上げた。全国の災害被災地にも参考となるノウハウを紹介する狙い。1冊目を夏ごろ出版し、2年間で計5冊刊行する。グラニーリデトの代表理事、桃生和成さんは、助成金を打ち切られて活動を継続できなくなる団体もある中で、今も続く取り組みに対し「時間がたったからこそ伝えるべき、持続させるポイントがある」と考えたという。著者と全国の被災地で講演会を開き、直接教訓を伝えながら販売するほか、インターネットなどでも購入できるようにする。復興文庫のロゴは、町並みに電球の光がともされたデザインとなっている。桃生さんは「被災地でさまざまな壁にぶつかる事業者たちの、希望の一つになってほしい」と思いを込めた。【5月12日 日本経済新聞より】
▼東北復興文庫
https://www.tohokuresilience.com/ -
【歴史・教訓】丹波豪雨の復興記録誌を発刊 課題と教訓を未来へ 丹波市/兵庫
2014年8月に、兵庫県丹波市市島地域を中心に甚大な被害をもたらした丹波豪雨の課題と教訓を将来に語り継ぐため、丹波市はこのほど「復興記録誌」を発刊した。4月1日で廃止となった同市復興推進室が約2年をかけて編集し、鬼頭哲也副市長を委員長とする編集委員会が監修した。当時の気象や被害状況をまとめた第2章では、住宅被害戸数1023戸、256カ所で発生した土砂災害による流出土砂量は10トンダンプカー約10万杯に相当したことなどを紹介。第3章の「教訓」には121ページを割き、避難所運営、ボランティアセンター、学校の復旧など、21項目にわたってそれぞれ何が課題で、どう対応し、教訓として何を学んだかを記した。初動対応の項目では、天候の急変などで情報収集が困難を極める中、避難勧告の発令に至った経過を詳述。地域住民が実際に避難行動を起こし、人的被害を最小限に抑えた背景として、隣近所での声掛けや、自治会役員による誘導、事前に自治会ごとにハザードマップを作っていたことなどの“地域力”を挙げている。【5月1日 神戸新聞より】
▼丹波市 平成26年8月丹波市豪雨災害 復興記録誌を発刊しました
https://www.city.tamba.lg.jp/soshiki/shiminkatudou/h26-fukkoukirokushi.html -
【歴史・教訓】西日本豪雨の記録、後世に残す1冊完成/岡山
2018年7月の西日本豪雨の被害や行政の対応などを岡山県が「平成30年7月豪雨災害記録誌」にまとめた。発災約1年半を「豪雨の概要」「被害概要」「応急対応」「復旧・復興」など6章に分け記録。被災者や救助に携わった警察官が体験を語るインタビューも収録した。県のホームページに電子ファイル版と動画も公開している。県危機管理課の担当者は「豪雨災害を知ってもらい、どう対応したかを参考にし、災害への備えをしてもらえれば」と話す。【4月20日 朝日新聞より】
▼岡山県 「平成30年7月豪雨災害記録誌」を作成しました
https://www.pref.okayama.jp/page/653529.html -
【歴史・教訓】熊本県内の神社、地震から復興の軌跡 記録誌刊行、義援金報告も
熊本県神社庁は、熊本地震で被災した県内神社の被害や復旧状況をまとめた記録誌「復興への軌跡」(非売品)を刊行した。県神社庁が管轄する神社は県内約1380社で、そのうち約半数の630社が本殿や拝殿、鳥居などを損壊した。記録誌では、発災直後に県神社庁が立ち上げた災害対策本部(県護国神社境内)を中心とした救援の動きなどを紹介。地域別の神社の被害や全国から寄せられた義援金の配分状況も報告している。東日本大震災でも復旧支援にあたった県神社庁長の宮崎國忠・志岐八幡宮宮司は「多くの支援のおかげで大半が復旧した。神社は地域住民の心のよりどころ。神事や祭事をやることは復興へのエネルギーにもなる」と力説。「被災調査を通じて過疎化で祭りの担い手が不足するなど神社存続の深刻さも見えた。今後の課題だ」と話す。県内神社などで閲覧できるが、配布希望にも応じる。【4月16日 熊本日日新聞より】
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【歴史・教訓】住民の証言集めた教訓伝える記録集 完成 益城町の堂園地区/熊本
熊本県益城町堂園地区の被災状況や住民の証言を集めた記録集「この子らの未来へ」が完成した。地元の住民でつくる堂園地区まちづくり協議会が、約1年半かけて制作。A4判カラーの90ページで、住民64人の証言や、被災直後の写真、避難所開設を巡る時系列の動きなどを盛り込んだ。県の「くまもと里モンプロジェクト」の助成を受け90部を作成。同地区の全戸に配布するほか、地元の津森小や図書館、町役場にも置く。同地区では住宅55棟のうち36棟が、全壊や大規模半壊の被害を受けた。同協議会の田上勝志会長は「徐々に地震の記憶が薄れている。記録集を防災意識の向上に役立てたい」と話した。【4月8日 熊本日日新聞より】
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【歴史・教訓】復旧の道筋1冊に 防災意識向上へ 宇土市が記録誌配布/熊本
熊本県宇土市は、熊本地震とその後の大雨による被災状況や復旧・復興への対応をまとめた、市民向けの記録誌「越えていく」を作製。記憶を継承し、防災意識向上につなげようと全約1万5千戸に配布している。記録誌では、地震直後から半年間の市内の動向を写真と共に時系列で紹介。被災状況のほか、仮設住宅や災害公営住宅(復興住宅)など復旧・復興の過程をまとめた。区長や消防団長らが当時を振り返り、「日ごろの防災訓練が役立った」など市民目線の教訓や学びも掲載した。巻末に災害への備えとして、情報収集方法や非常持ち出し品リストも掲載。市復興支援係は「記録誌を見返すと当時の記憶がよみがえる。各家庭で、いざという時の備えに役立ててほしい」と呼び掛けている。【4月8日 熊本日日新聞より】
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【歴史・教訓】震災初動対応の教訓を継承、岩手 発生9年、県が提言集を発行
岩手県は、東日本大震災発生時の初動対応や、復旧・復興の過程で明らかになった課題を分析しまとめた提言集を発行した。9年がたち、震災後に入庁した職員も増える中で教訓を継承することが目的。当時の担当職員に聞き取るなどしてまとめた。国や各都道府県にも配布し、県HPで公開した。初動対応では、自衛隊や警察、消防などで「共通に使える通信手段の確保が必要」とした。DNA型検査など科学的な身元確認を尽くした上で「遺体に管理番号を付ける必要がある」と提言した。【4月3日 共同通信より】
▼岩手県 「東日本大震災津波からの復興―岩手からの提言―」(復興の取組と教訓を踏まえた提言集)
https://www.pref.iwate.jp/shinsaifukkou/densho/1027741/index.html -
【歴史・教訓】北海道 有珠山噴火から20年 速やかな避難が課題
平成12年の北海道 有珠山の噴火から3月31日で20年となった。有珠山は平成12年3月31日に西側の山麓でマグマ水蒸気噴火が起きて噴煙が火口から3500メートルに達し、噴石や地盤の隆起などにより850棟の建物のほか道路や水道に被害が出た。一方、およそ1万6000人の住民は噴火の前に避難し、犠牲者はいなかった。有珠山は明治以降、20年から30年の間隔で噴火を繰り返しているが、札幌管区気象台によると火山活動に特段の変化はなく、噴火警戒レベルは「活火山であることに留意」を示す1となっている。洞爺湖町の泉区自治会では、有珠山の噴火のほか地震や津波などの災害に備えて平成28年4月に自主防災組織を設立した。自治会を28の班に分けて、世帯の家族構成や連絡先のほか1人暮らしの高齢者など避難の際に支援が必要な人を把握している。この地区では高齢化が進み、660人余りのうち70歳以上の1人暮らしの高齢者が40人余りいるということである。泉区自治会で会長を務める山浦和好さんは「有珠山が噴火した場合は行政もパンクすると思うので、地域で協力し合わないと立ちゆかない。高齢者が高齢者を助けなければならない状況だ。これから行政と協力し避難の体制を作らなければならない」と話している。【3月31日 NHKニュースより】
▼洞爺湖町 有珠山の状況について
http://www.town.toyako.hokkaido.jp/bousai_info/mt_usu_condition/ -
【歴史・教訓】震災の記憶、劇で伝える 東京の劇団、南三陸で聞き取り制作
東京の演劇集団「ごきげん一家」が、東日本大震災で被災した宮城県南三陸町の住民の体験談を基にした朗読劇を制作した。町内の一般社団法人南三陸研修センターが企画。ごきげん一家の団員が2月下旬に町内に滞在し、震災を経験した高校生や元町職員ら12人から当時の状況などを丹念に聞き取り、30分の劇に仕上げた。公演は同26日に町生涯学習センターであり、約20人が鑑賞した。団員4人が町を襲った津波の恐怖、変わり果てた町を目の当たりにした心境、犠牲者の分まで生きていくとの思いを朗読した。ごきげん一家は2018年に旗揚げした。これまで南三陸の民話を題材にした演劇を披露していたが、震災をテーマにした作品は初めて。今後は首都圏で公演するということである。【3月16日 東京新聞より】
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【歴史・教訓】震災施設結ぶ伝承ロード 風化防止へ、教訓未来につなぐ
東日本大震災で被災した青森、岩手、宮城、福島各県の産官学が連携し、震災の教訓を伝える取り組みを進めている。「3.11伝承ロード」は、甚大な被害を受けた太平洋沿岸を中心に、地方自治体や民間団体が推薦した遺構、石碑、慰霊碑などを震災伝承施設として登録。津波と建物を組み合わせた標章を使った案内板を設置したり、主な施設を記載した地図を作成したりし、被災地を訪れる人が効果的に震災の教訓を学べる仕組みをつくろうという試みである。昨夏には一般財団法人「3.11伝承ロード推進機構」が発足した。代表理事の今村文彦東北大災害科学国際研究所所長は「東日本大震災は広域、複合的な災害で、被害や復興状況が地域で異なり、津波の言い伝えなどの防災文化もある。(被災地を巡れば)震災への理解が深まる。機構はガイド役になりたい」と意義を説明する。登録された震災施設は1月末現在で224件に上り、説明者を配置したり、津波の映像を上映したりして震災を詳しく学べる施設もある。【3月11日 時事通信より】
▼3.11伝承ロード推進機構
http://www.311densyo.or.jp/ -
【歴史・教訓】遺構、津波の恐怖体感 全国の中高生「生きる力」学ぶ―東日本大震災9年
東日本大震災の被災地に保存される震災遺構には、全国の中学校、高校が修学旅行、震災学習で訪れている。宮城県気仙沼市にある気仙沼向洋高校の旧校舎は昨年3月、気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館として生まれ変わった。3階には津波で流れて来た車がひっくり返り、自然災害の脅威を見せつける。館長の佐藤克美さんは「修学旅行生には、語り部ガイドが付いて説明している。初年度は想定以上の人に来てもらった」と話す。同市観光コンベンション協会の畠山雅英さんは、ある修学旅行生が遺構の内部を見て回り、「誰かが造ったのかと思った」と友人に話す場面を目撃した。「ついにそういう世代が出てきたか」と感じたといい、「津波の映像を見たことがあっても実感が湧かなかったのだろう。震災を知らない世代は一度でいいから来てほしい」と訴える。2017年4月に公開された仙台市の震災遺構、荒浜小学校も年を追うごとに修学旅行の予約が増え、市外の学校が相当数に上るという。みやぎ教育旅行等コーディネート支援センターの小林由季さんは「最初は『震災を学ぶ』だったが、『震災から教訓を学ぶ』へと学校のニーズが変わった。復興を力強く進める被災者の話を通じ、生きる力を身に付けさせたいという学校も増えている」と解説した。【3月11日 時事通信より】
▼気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館
http://www.kesennuma-memorial.jp/ -
【歴史・教訓】津波記念碑3基を文化財指定 すさみ町、防災の教訓に/和歌山
和歌山県すさみ町は宝永や安政、昭和の地震で先人が残した教訓に学び、地域住民の防災意識を高めるための記念碑3基を町文化財に指定した。指定した地震災害に関する碑はいずれも同町周参見に建てられている、王子神社裏山の大日山にある「為後鑑(のちのためのかがみ)」碑と国道42号沿いに立つ「故志士谷三郎左衛門氏記念碑」、万福寺の境内にある「津波乃碑」の3基。為後鑑は安政地震後の1857(安政4)年に山崎地区の住民が建てた。津波が襲来する前に大日山に避難して難を逃れられたのは、頂上に祭られている大日如来の擁護と住民の信仰のおかげなど―と刻まれている。1979年に大日如来堂が再建された時の趣意書によると、山崎地区ではかつて、大日講の餅投げの餅を頂上に運ぶ際、区長が先頭に立って小太鼓を鳴らし、後に続く住民は「おう、おう」と声を上げたという。夜間の津波に備え、太鼓と掛け声を頼りに頂上まで登る避難訓練でもあったと考えられている。県立博物館によると、県内で地震・津波関連の記念物を文化財指定している自治体は少ないということである。【3月4日 紀伊民報より】
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【歴史・教訓】津波避難の教訓刻む 女川町に「いのちの石碑」18基目完成/宮城
東日本大震災の教訓を後世に伝えようと、宮城県女川町女川中学校の卒業生らが建立を続けている「女川いのちの石碑」の18基目が同町大石原浜地区に完成し、現地で1日、披露式があった。卒業生有志でつくる「女川1000年後のいのちを守る会」のメンバーと地元住民らが参加。震災当時、同地区では住民が高台に避難し、犠牲者が出なかったことなどが説明された。いのちの石碑は2011年4月に女川中に入学した生徒たちが発案した。2013年11月の1、2基目を皮切りに町内の各津波到達地点より高い場所に建立。最後となる21基目は今夏新設される女川小・中学校敷地内に建てられ、11月22日に披露式がある。【3月2日 河北新報より】
▼女川1000年後のいのちを守る会
https://www.inochino-kyoukasho.com/ -
【歴史・教訓】三六災害、猛威を忘れない 阿智で記録写真展/長野
「三六(さぶろく)災害」の記憶を語り継ごうと、企画展「忘れない!伊那谷36災害記録写真展」が、長野県阿智村の熊谷元一写真童画館で開かれている。会場には、主に飯田市川路や会地村(現阿智村)で熊谷さんが撮影した写真60点が並ぶ。電柱が倒れ、道は土砂で埋め尽くされた商店街や一面が水で覆われ、葉も木の枝も見えない桑畑など、災害前はどういった光景だったのか想像するのが困難なほど、変わり果てた伊那谷の姿が写し出されている。発生当時、役場の建設課職員として復興にあたった熊谷元一写真保存会会長で、元村長の岡庭一雄さんは、伊那谷一帯の地盤が脆弱で、豪雨などの水害に弱いことを指摘。リニア中央新幹線の工事に伴い発生する残土を、伊那谷の谷筋に埋めることに対しては「滑り台の上に土をおくようなもの。リニアに関してネガティブな話をしにくい雰囲気があるが、三六災害の経験者は心配している。工事を進めるにあたり、安全性など科学的根拠を明らかにする必要がある」と懸念を示す。【2月13日 中日新聞より】
▼阿智村 熊谷元一 写真童画館
https://www.vill.achi.lg.jp/site/motoiti/ -
【歴史・教訓】災害史 紙芝居で次代へ 笠間の住民が制作/石川
石川県の白山市笠間地区の歴史を伝える「笠間郷土史クラブ」が、災害の教訓や防災対策をまとめた紙芝居作りを進めており、地区社会福祉協議会が16日、笠間公民館で行う防災イベントで披露しようと目指している。紙芝居は全12枚で、2章立て。前半の6枚は「手取川大水害」や「三・八豪雪」など、過去に地域に起きた災害を伝える。後半では災害時の避難行動の在り方や必要な備蓄品について紹介する。市の総合ハザードマップも折り込み、避難場所も確認してもらう。絵を担当したクラブの坂本雅邦会長は、紙芝居作りの理由を「災害は誰にとっても無縁ではない、と感じてほしいという思いから」と話す。坂本さんは会員の米田浅子さんと協力し、約3カ月かけて紙芝居の絵を画用紙に描いた。「見た人に当時の様子を想像してもらうためには絵の緻密さが不可欠」と考え、災害体験者に話を聞き、現場に足を運んで、絵に反映させた。完成した紙芝居は今後、地域の歴史を伝える「笠間おはなしの会」が、公民館で10月にある文化祭などでも読み聞かせする予定である。【2月9日 中日新聞より】