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防災関連の最新ニュースをご紹介
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【歴史・教訓】広島土砂災害5年 被災地で追悼の祈り、防災へ決意新た
2014年8月の広島土砂災害から5年となった20日、被災地で住民や遺族が追悼の祈りをささげた。災害当時、避難所だった広島市安佐南区の梅林小学校で午前9時から開かれた追悼献花式には雨の中、住民ら約40人が参列した。参列した松井一実市長は「この災害を教訓に誰もが安全安心に暮らせる町の実現に向け、防災整備を着実に推進する」とあいさつし、防災対策を強化する決意を語った。梅林学区は広島土砂災害で多くの死者を出したが、2018年7月の西日本豪雨では犠牲者はいなかった。自主防災会連合会会長の菅原辰幸さんは地域一帯となって防災に取り組んだ成果とした上で、「5年前を忘れずに教訓を継承していきたい」と話した。【8月20日 日本経済新聞より】
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【歴史・教訓】公開資料10万点超す 熊本地震デジタルアーカイブ
熊本地震に関する写真や文書などの記録をデータ化し、一般に公開している熊本県の「熊本地震デジタルアーカイブ」の掲載資料が10万点を超えた。資料は随時収集し、7月24日に10万点を突破。内訳は市町村から集めた画像や検証文書が最多で6万1千点。益城町の断層や南阿蘇村の東海大阿蘇キャンパス、熊本城の定点観測画像のほか、県医師会などの業界団体の記録誌43部なども閲覧できる。ただ2017年4月に4万回あった閲覧数は、現在は約1万回まで減少。閲覧しやすくするため、4月から地名などで検索すれば関連資料の一覧が表示されるように改修した。県危機管理防災課防災企画室は「教訓を伝えるためにデータが果たす役割は大きい。アーカイブの周知と活用をさらに図っていきたい」としている。【8月5日 熊本日日新聞より】
▼熊本地震デジタルアーカイブ
https://www.kumamoto-archive.jp/ -
【歴史・教訓】大槌町が震災記録誌発刊 「高台へ」対策生かせず/岩手
岩手県大槌町は5日、東日本大震災で旧役場庁舎が津波に襲われるなどし、町職員39人が犠牲になった状況や対応をまとめた記録誌を発刊した。職員らの証言により幹部の満足な検討や指示がないまま災害対策本部(災対)を防災手帳のマニュアルにある高台の公民館でなく、旧庁舎前に置いたことが判明。対応の不備が改めて浮き彫りになった。記録誌は「生きる証(あかし)」のタイトルで11章構成、A4判255ページ。同町では震災当日、旧庁舎前に設置された災対や周辺にいた当時の加藤宏暉町長ら職員計28人が、出先にいた11人とともに津波の犠牲になった。町は過去2回、災対設置の経緯を検証したが、住民などから「状況が分かりにくく不十分」との指摘を受けていた。町は記録誌作成のため助かった職員ら35人に改めて調査を行い、ほぼ実名で当時の様子を再現した。【8月5日 岩手日報より】
▼大槌町 大槌町東日本大震災記録誌の発行についてのお知らせ
https://www.town.otsuchi.iwate.jp/gyosei/docs/433179.html -
【歴史・教訓】陸前高田津波伝承館9月開館被災者ら解説担当/岩手
国、岩手県、陸前高田市が整備する「高田松原津波復興祈念公園」内の「東日本大震災津波伝承館」の開館日が9月22日に決まった。同館は、災害の歴史や津波の脅威、避難行動などのテーマ別に資料を展示する。津波被害を受けた同市の気仙大橋の一部や田野畑村の消防車のほか、被災者の証言記録などを通し、震災の教訓を伝える。同市や大船渡市の被災者ら8人が解説員を担当し、年4回は、企画展示も行う。入館無料で午前9時~午後5時。また、公園内の「国営追悼・祈念施設」の一部や、道の駅「高田松原」も伝承館の開館日に利用を開始する。【7月27日 読売新聞より】
▼岩手県 東日本大震災津波伝承館
https://www.pref.iwate.jp/shinsaifukkou/densho/1022357/index.html -
【歴史・教訓】震災伝承へ連携新組織 「3.11伝承ロード推進機構」設立へ
東日本大震災の経験や記憶を産学官民が連携して伝承していこうと、東北経済連合会と一般社団法人東北地域づくり協会が、新伝承拠点組織「3.11伝承ロード推進機構(仮称)」を近く設立することが分かった。国土交通省、青森、岩手、宮城、福島の被災4県や仙台市、東北大なども参加する。機構は被災地域の振興や交流人口拡大、他地域も含めた防災力向上などを目指し、被災4県の震災遺構や慰霊碑、モニュメントなどで形成する「3.11伝承ロード」を基盤に、教訓と復興の歩みを国内外に発信する。機構は今後、他機関と協力し(1)防災や復興の教育・研修プログラムの開発(2)各地の伝承施設を回る視察旅行の企画(3)防災・減災のための調査・研究などの事業に携わるとみられる。【7月29日 河北新報より】
▼震災伝承施設
http://www.thr.mlit.go.jp/sinsaidensyou/sisetsu/facility/ -
【歴史・教訓】西日本豪雨1年 被災者ら当時の心境や後悔語る たつの/兵庫
昨年7月の西日本豪雨で大規模な洪水に見舞われた岡山県倉敷市真備町の被災者に話を聞く座談会が28日、兵庫県たつの市の揖西公民館であった。真備町で月に1回、炊き出しや物資支援、サロン活動に取り組む揖西北まちづくり協議会のメンバーが、豪雨1年を機に企画した。被災当時、寝たきりの妻と2人暮らしだった中本昭彦さんは「車いすの妻を避難所に連れていくと迷惑を掛けてしまう」と、深夜に高台に避難して車で一晩を明かした。「障害者や高齢者らの受け入れ先となる福祉避難所が自宅近くにあったと後で知った」といい、行政の積極的な情報発信の必要性を訴えた。当時の避難状況について吉田淑子さんは「町内スピーカーからは『避難してください』とだけアナウンスがあった。どれくらい水が迫っているかが分からず、逃げ遅れた近所の数人が亡くなった」と振り返った。「早急に避難しないと命に関わると、あの瞬間に伝えてほしかった」と悔しさをにじませた。他にも「急ぐあまり何も持たず家を出てしまい、食料を買えず後悔した」「ペットを連れて避難所に行くことが申し訳なかった」などの声もあった。【7月29日 神戸新聞より】
▼揖西北まちづくり協議会
https://www.facebook.com/issaikita/ -
【歴史・教訓】「三六災害」700人超の体験録 箕輪の碓田さん、小中高校生の作文集「補遺」出版/長野
1961(昭和36)年に伊那谷を襲った「三六災害」で被災した当時の小中高校生の作文を本「濁流の子」にまとめた長野県上伊那郡箕輪町の碓田栄一さんが、未収録だった700人超の作文を「濁流の子・補遺」にまとめた。25日、駒ケ根市の国土交通省天竜川上流河川事務所に30冊と、原稿の原本を寄贈した。碓田さんは当時も箕輪町在住で無事だったが、通っていた伊那北高校の同級生が被災。家が流されて学用品もなくなった児童生徒を支援してほしいと呼び掛けた。全国から集まった支援へのお返しとして伊那谷の子どもたちの経験をまとめ、1964年にガリ版で500部作った。当初の本は78点収録したが、作文は約千点集まっていため、手元に残る700点超全てを載せることにした。「作文の多くが眠ったままになっていた。取り出してみると身に迫る作品があった。不幸な災害だったが後世に残す手伝いができた幸せな本」と碓田さん。同事務所は補遺を増刷して学校や図書館に配る他、デジタル化して一般公開することも検討している。【7月26日 信濃毎日新聞より】
▼国土交通省天竜川上流河川事務所 「濁流の子」完結編「濁流の子・補遺」!!貴重な災害伝承資料を引き継ぎます
http://www.cbr.mlit.go.jp/tenjyo/jimusyo/news_k/k_574/k_574.pdf -
【歴史・教訓】本明川の防災対策紹介 パネル展始まる/長崎
1957年7月25日の諫早大水害を振り返り、防災対策の今を伝える「本明川防災パネル展」が22日、長崎県諫早市の諫早駅で始まった。人通りの多い駅東口や自由通路を今回から会場に加え、パネル約30点を展示した。29日まで。国土交通省長崎河川国道事務所などが2007年度から開催。橋や家が流された惨状を収めた写真をはじめ、延長が短く、水位が急激に上昇する本明川の特徴、河川拡幅の経過、防災情報の入手方法などを説明している。水害で被害を受けた眼鏡橋が今年、架橋180年を迎えるのに合わせ、同市が頑丈な構造などを紹介するパネルも展示。アーチ状の石橋を造った先人の知恵が分かりやすく紹介されている。同展は23~26日、市立諫早図書館でも開かれる。【7月23日 長崎新聞より】
▼国土交通省九州地方整備局長崎河川国道事務所 本明川防災パネル展
http://www.qsr.mlit.go.jp/nagasaki/site_files/file/bousai.pdf -
【普及啓発】色丹島で巨大地震の痕跡を発見 ビザなし専門家訪問団/北海道
北方四島ビザなし交流の専門家枠で色丹島を訪れた地震火山専門家訪問団(団長・西村裕一北大大学院理学研究院地震火山研究観測センター准教授)は15日、根室に帰港後の記者会見で、島内の津波堆積物の分布調査で巨大地震の痕跡とみられる地層を確認したと報告した。千島海溝に近い北方四島で、本格的な津波堆積物調査が行われたのは国後島に続き2カ所目で、色丹島では初めて。訪問団はロシア側の専門家と共同で6~13日、色丹島太平洋側のイネモシリなど沿岸部の30地点で地層を最大3メートルの深さまで抜き取った。それを調べて、過去の巨大地震で津波が堆積したとみられる地層や火山灰層の試料79個を採取した。訪問団は早ければ年内にもロシア側と共同で試料の分析を行い、地震の周期などを調べる方針。西村氏は「千島海溝沿いで発生する巨大地震の長期予測のための基礎データとして公表できるようにしたい」と話した。【7月16日 北海道新聞より】
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【歴史・教訓】<震災遺構>被災住宅残った基礎、津波の脅威伝える 来月2日から公開/宮城
宮城県仙台市は16日、東日本大震災の津波で流失した住宅の基礎だけが残った若林区荒浜の一部エリアを、震災遺構「仙台市荒浜地区住宅基礎」として8月2日から一般公開すると発表した。近くの震災遺構「荒浜小」とともに、津波の脅威や震災前の暮らしを伝える空間として活用する。公開対象は深沼海岸西側で鎮魂のモニュメント「荒浜記憶の鐘」に隣接する約0.5ヘクタール。震災後の防災集団移転で市が取得したエリアの一部で、住宅6戸の基礎部分が残り、津波による浸食で生じた大きなくぼみが3カ所にある。市は津波の威力を実感できるよう、住宅基礎などの遺構にはほとんど手を加えず、ありのままの姿を公開する。駐車場や見学通路は整備し、津波のメカニズムや震災前の荒浜の生活、被災後の状況を写真や証言で伝える説明板を設置する。見学は自由で入場無料。スタッフは常駐しないが、荒浜小の管理事務所に事前連絡すれば、ガイドを務める市嘱託職員が住宅基礎群も案内する。【7月17日 河北新報より】 ▼仙台市 「震災遺構 仙台市荒浜地区住宅基礎」を公開します https://www.city.sendai.jp/sesakukoho/gaiyo/shichoshitsu/kaiken/2019/07/16jutakukiso2.html
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【歴史・教訓】防災センターで水害写真展/和歌山
和歌山県日高川町の町防災センターで、紀州大水害(7.18水害)発生から66年を前に「水害写真展」が開催されている。8年前の9月に甚大な被害を及ぼした台風12号による紀伊半島大水害と合わせ、流された家屋や冠水した道路など水害の恐ろしさを生々しく伝える写真約140点を展示している。紀州大水害のコーナーは施設ホール入り口から向かって左側に設置。濁流の日高川や屋根だけ残して水没した民家、水が引いた後のがれきの山などの写真が並んでいる。「私の体験記」として、被災者の当時の恐怖体験も出展され、誰でも自由に読むことができる。紀伊半島大水害の写真では、皆瀬の美山郵便局付近の越流、松瀬や平川、和佐の冠水の様子を写した写真がずらり。水害発生当時と、平時の穏やかな風景の写真をセットにし、来場者に防災意識の高揚を訴えかけている。展示は9月末まで。施設ではさまざまな災害発生の仕組みを展示、シアター、模型などで学べるほか、遊び感覚で消火体験や水圧体験に参加できる。【7月13日 日高新報より】
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【歴史・教訓】再現映像ジオラマに投影 震災の避難行動一目で 石巻・南浜つなぐ館公開/宮城
宮城県石巻市南浜町の東日本大震災伝承施設「南浜つなぐ館」は11日、震災直後の住民らの避難行動を地図に反映させた新たなプロジェクションマッピングの公開を始めた。地震発生から津波到達までの約1時間の動きを約4分の再現映像で可視化した。公益社団法人3.11みらいサポートが東北大災害科学国際研究所と共同で制作。震災当時、門脇・南浜地区周辺にいた約50人の避難行動を地図に落とし、津波のシミュレーションと重ねた映像を2メートル四方の段ボール製ジオラマに投影した。一人一人の行動を示す地図上のマークは「命の危険を感じる」「家族や忘れ物のために戻る」など当時の心情や状況に応じて色分けされ、緊迫感が伝わる内容になっている。【7月12日 河北新報より】 ▼公益社団法人3.11みらいサポート 東日本大震災メモリアル 南浜つなぐ館 https://311support.com/spot/tsunami_museum
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【歴史・教訓】住民の3分の1が犠牲の地区 語り部活動 気仙沼/宮城
東日本大震災から8年4か月となる11日、宮城県気仙沼市の杉ノ下地区で、震災の記憶を伝える語り部活動が始まった。杉ノ下地区では、指定避難場所となっていた高台に多くの住民が避難したものの、この高台も津波に襲われ、住民のおよそ3分の1にあたる93人が犠牲になった。高台で夫を亡くした三浦祝子さんは当時、多くの住民が高台にいれば安全だと信じすぎていたと話し「これからもいろいろな災害が起きると思います。常日頃から防災の意識を高く持ってください」と語りかけた。活動のあと三浦さんは「これまで自分の体験を人前で話すことに抵抗がありましたが、今は大事な命を守るために少しでも役に立てたらいいなと思っています」と話していた。【7月11日 NHKニュースより】 ▼気仙沼さ来てけらいん 階上地区 震災の語り部 あの日・・・ここで・・・ http://kesennuma-kanko.jp/階上地区-震災の語り部-あの日・・・ここで・・・/
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【歴史・教訓】日頃から命守る備えを 大浦小で7.8災害考える集会/佐賀
佐賀県太良町の大浦小学校で8日、57年前に町内に大きな被害をもたらした「7.8災害」を考える集会が開かれ、地元の杉田進さんが講師を務めた。「7.8災害」は1962年7月8日、豪雨が大浦小近くの権現山の地滑りを引き起こし、町内では44人の尊い命が失われた。当時、中学生だった杉田さんは自宅玄関から浸水が始まり、慌てて2階へ逃げたという。窓の外に見た光景は「一面が湖のようになった。地滑りは山が動いて崩れ、校舎を押しつぶした」と証言。地震や集中豪雨などはいつでも、どこでも起きると訴え、「一つしかない命を守るため、備えておこう」と呼び掛けた。集会は災害の恐ろしさを風化させないために毎年行っている。【7月9日 佐賀新聞より】
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【歴史・教訓】県外避難者の苦労や葛藤体験談を収録「災害の備えに生かして」/宮城
宮城県サポートセンター支援事務所は、県外避難者と支援団体の体験談をまとめた記録誌を発行した。タイトルは「ふるさとを離れるということ 広域避難者と支援者の葛藤と苦悩」。東京、京都、福岡、宮崎の4都府県に県内から避難した6人と、現地で避難者の支援に当たった3団体4人の経験談を集めた。急に慣れない土地で暮らすことになって苦労した経験や、震災から8年が過ぎて家族が避難先で職を得るなど、帰郷は難しいと感じ始めている実情などが吐露されている。ピーク時は全国に9000人以上いた避難者と支援員の体験を資料として残そうと、同事務所アドバイザーを務める東北学院大地域共生推進機構の本間照雄特任教授(社会学)が中心となり、約1年かけてまとめた。3月末に800部を作り、県内の自治体や支援団体、図書館などに配布したほか、内閣府が指定する「南海トラフ地震津波避難対策特別強化地域」の139市町村にも送付した。本間氏は「県外避難者は遠慮して要望を言いださない人が多い。信頼関係を築き、サポートした支援員の活動を伝え、今後想定される大規模災害の備えに生かしてほしい」と話す。【7月1日 河北新報より】
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【歴史・教訓】地図に158の災害伝承碑 過去の地震、津波教訓に
国土地理院は20日までに、過去の地震や津波、噴火、洪水などの災害を伝える伝承碑を示した地図をウェブサイト「地理院地図」で公開した。今回の27都府県158基を皮切りに、年内に計数百基が公開される見通しである。地理院は「自治体も地元住民も知らない伝承碑が、まだあるのではないか」として、埋もれた伝承碑の掘り起こしも進めていく方針。地理院は自治体と協力して探索を進める一方で、こうした碑を示す地図記号「自然災害伝承碑」を作った。公開されたウェブ上の地図で伝承碑の記号をクリックすると災害の種類や時代、犠牲者数などが示される。今回の公開で最も古いのは、江戸時代の1677年に起きた「延宝房総沖地震」を伝える津波供養塔(千葉県一宮町)。地震から17年後に建立され、東日本沿岸を襲った大津波の被害を伝えている。【6月20日 日本経済新聞より】
▼国土地理院 先人が伝える災害の教訓「自然災害伝承碑」を地図で発信
https://www.gsi.go.jp/bousaichiri/bousaichiri190619_00002.html -
【歴史・教訓】真備のビル壁面に豪雨直後の写真 地元NPOが看板、浸水ラインも/岡山
岡山県倉敷市真備町地区の障害者と家族でつくるNPO法人「いちご一会」が、西日本豪雨で被災して改装中の3階建てビル壁面に、浸水直後のビル周辺を撮影した写真の看板を掲げた。看板は、ビルの東方面で水没している量販店などを写した縦1.2メートル、横1.6メートル。昨年7月7日午前10時ごろ、ビル2階の床まで水が迫ったため、内藤桃代理事長が3階に上がって撮影した。写真横には、赤い矢印の中に白抜きで「2018年(平成30年7月7日)西日本豪雨災害 ここまで水がきました 3.9M」と記した。内藤理事長は「災害で二度と命が失われないよう、記録をいつまでも刻みたい」と話している。【6月16日 山陽新聞より】
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【歴史・教訓】宮古被災写真、宮内庁に 明治三陸津波撮影の19枚所蔵
1896(明治29)年6月15日に発生し、約2万2千人が死亡した明治三陸津波で、岩手県の鍬ケ崎町(現・宮古市鍬ケ崎地区)の被災状況を撮影した写真19枚が、宮内庁に所蔵されていることが12日までに、共同通信の調べで分かった。明治三陸津波は、東日本大震災の死者・行方不明者を上回る犠牲者を出した。地元の写真師、末崎仁平が津波発生の翌日に撮影を開始したため混乱する現場の様子が生々しく記録された。末崎は同年9月、県を通じて一連の写真19枚を宮内省(当時)へ献納したいと願い出て11月に実現した。現在、宮内庁書陵部所蔵の明治の災害記録写真アルバム「風水害之写真」(データベースの登録名「諸国災害実況写真」)の中にある。共同通信が5年前、末崎の撮影した写真のガラス乾板などが盛岡地方気象台にあることを報じた。この記事を岩手日報で見た大船渡市の越喜来漁協組合長、船砥秀市さんが末崎は祖先の一人だと思い、東日本大震災の復興対応が一段落した今年2月になって、同紙に連絡した。【6月13日 岩手日報より】
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【歴史・教訓】震災語り部、80人が希望 宮城の東京五輪都市ボランティア
2020年東京五輪のサッカー会場がある宮城県は10日、来場者の誘導や情報提供を担う「都市ボランティア」の応募者のうち約80人が、東日本大震災の経験を伝える語り部を希望していると発表した。ボランティアは、応募時に「案内・誘導」や「通訳」など希望する仕事を2つまで選択する。このうち語り部は、JR仙台駅や仙台空港(名取市、岩沼市)に設けたブースで、被災経験や復興状況を説明する役割となっている。都市ボランティアは、9月ごろに研修し、2020年3月末までに採用通知を送付する。【6月10日 共同通信より】
▼宮城県 2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会 ボランティア情報
https://www.pref.miyagi.jp/site/olympic/volunteer.html -
【歴史・教訓】真の教訓 得る材料に 雲仙普賢岳噴火回想録を刊行/長崎
雲仙・普賢岳噴火災害当時、九州大島原地震火山観測所(現在の九州大地震火山観測研究センター)の所長として観測の中心的役割を果たした同大名誉教授、太田一也さんが、初めての「雲仙普賢岳噴火回想録」を長崎文献社から出版した。5年半にわたった噴火災害への対応を検証し、真の教訓を得る材料にしてほしいと、当時走り書きで残していた膨大なメモなどを基に2011年から執筆を続けていた。噴火前から終息するまでの観測の記録、市民の生命と財産を守るための苦闘の日々、関係者との生々しいやりとり、報道陣の行動などを詳細に記した。避難勧告地域に立ち入らないよう報道陣に繰り返し訴えたが受け入れてもらえず、結果的に多くの犠牲者を出してしまったことへの後悔についても触れている。行政の防災意識の希薄さ、報道機関への遠慮、観測所長の権威と信頼性の不足、報道陣の過熱取材やゆがんだ使命感などが絡み合い、悲劇が引き起こされたとの見方も示している。【6月2日 長崎新聞より】
▼長崎文献社 雲仙普賢岳噴火回想録
http://www.e-bunken.com/shopdetail/000000000367/