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名古屋大学減災連携研究センター 福和伸夫氏インタビュー【前編】 〜めざすのは防災・減災を通して、この国の基本的な構造を良い方向に持って行くこと


●東京の人は防災を考えるのが苦手?!

──2014年3月に完成した減災館について、また防災・減災の意識が乏しい人からも減災行動を引き出すために何をすればいいのかうかがいたいと思います。

福和伸夫さん(名古屋大学減災連携研究センター長・教授)

福和:防災って、地域や家族に対する愛情が動機付けになります。東京に暮らす人たちって、地方と比べると独り身が多く、地域と距離があるように感じます。防災も含め多くのことが東京中心主義で考えられていますが、実はそれは少し変じゃないかと思っています。

まず、東京に暮らす人の多くは、東京が故郷じゃないですよね。地方からやってきた人が多くて、例えば東京都庁や東京消防庁の職員の中の東京都出身者の割合はとても低いんです。地方の子どもたちはなぜ東京の大学に行きたくなるんでしょう? 本音は、東京が魅力的で楽しいからですよね。そして彼らは、卒業後も東京の魔力にとりつかれてしまって、故郷に戻らなくなる。

東京で生まれ育った人も土地とのつながりが弱いと思います。地域社会を守るには、根をはるための「地べた」が必要です。その接点になるのは小中学校ですが、東京では多くの子どもが小学校受験や中学校受験をして、地元の学校に入らないので、地域との接点が少なくなりがちです。

──東京の人間は自分が住んでいる土地との関わりが薄いということですね。

福和:そうです。東京は自然からも離れているし、家のある地域とは関係なく知り合いがとてもたくさんいるから、そのバーチャルの世界だけで生きていけます。ひょっとすると東京のことを「仮に身を置いている世界」だと思っているかもしれません。さらに、個人の生き方を大事にする人が多いので、未婚率や離婚率が高く、出生率が低い結果となっているように思います。

こうして見ていくと、東京では、防災にとって最も大切な、「家族を守る」とか「地域社会を守る」という意識が地方と比べて弱い気がします。東京は何もかもがあまりにも大きいので、縦割りにしないとやっていけません。その結果、専門分化が進んでいます。そのため、防災や環境問題のように総合的な課題を俯瞰的に考えるのが苦手になっているように感じます。これに対し、地方では人が少ないので、縦割りとは逆に、一人で何役も担っているように思います。

 

●昔の暮らし、地方の暮らしの中にヒントあり

──東京中心ではない、望ましい防災・減災の形はどうあるべきなんでしょうか?

福和:昔に戻ればいいだけかもしれません。日本の文化は防災文化そのものですから。アジア・モンスーン地帯に位置していて、プレート境界にあって土はとても崩れやすい。風水害が多く、かつ土砂災害が多い。そして地震も多発する。だから、怖いものの代表として「地震、雷、火事、親父」と言ってきたわけです。

人間は弱い生物なので、かつては、自然とうまく折り合いをつけるために、自然が強い危険なところを避けて集落を作って来ました。だから伝統的な地域では、基本的に安全な場所に集落があるんです。東京などの大都市は人が集まり過ぎるから危険な場所を使ってしまう。水辺の地盤の緩い場所を埋め立てて高層ビルを建ててしまっている。これが、都会の価値観のように思います。

──人口が過密な都市以外では、自然に安全な場所で暮らしているということですね。

福和:それだけではありません。地方では、自然とうまく折り合いをつけた、昔ながらの文化が残っています。子どももたくさん生まれていますし、おじいさん、おばあさんと孫が近くにいるから、ちゃんと災害伝承もでき、子育ても助けることができるわけです。ただ、子どもたちが東京に出て行ってしまうとその構図が崩れる、という悪循環が生じています。

東日本大震災の被害も戦後になって広げたところに集中しています。もともと奥州街道も浜街道も1611年の慶長三陸地震の津波被災地を避けて作ったわけで、それ沿いに作った東北本線沿いの町の被害は軽微でした。そして東北の、特に岩手の人たちはほんとに良く避難していますよね。だから、明治三陸地震のときと比べると被害を激減させています。子どもたちにしっかりメッセージを残したから、子どもたちも良く逃げています。それからコンビニの食品が売り切れになるなんてこともなかった。次の人のために残してあげているからですね。僕はその日東京にいましたけど、一瞬にしてコンビニの棚はカラになりましたよね。やっぱり地方と東京って、すごく違うんじゃないでしょうか。

 

●“三男坊”名古屋のやり方が求められている

──東京の問題点は、名古屋や大阪など他の大都市にも共通していることでしょうか?

福和:特に東京は相当に特殊で、大阪も外から来ている人の割合が多いので東京に少し似ています。名古屋も大都市ですが、相対的には随分違います。たとえるなら、東京は長男坊だから、努力しなくても親が大事にしてくれます。大阪は次男坊なので、長男坊ほど恵まれていませんし、東京に対する反目もあります。けれど、やっぱり東京一極集中は具合が悪いので、時々文句を言うと「しょうがないね」ってご褒美が貰えます。

名古屋は三男坊なんです。三男坊以下はみんな同じであまり親に構ってもらえません。名古屋には国立の施設はほとんどありません。その分自分たちで頑張ります。成田・羽田、関空、セントレア(中部国際空港)を比べてみてください。減災館も同じコンセプトです。田舎ってそういうものだと思います。地産地消です。地域の自律力、自助力が高いんです。東京では、大きくなるために効率良くしなくてはならず、エネルギーや食料など、全部よそに頼ることになります。サービス産業中心で、ホワイトカラーしかいない社会、農業する人や工場で働く人のように汗をかく人が少ない社会にしてしまった。

──日本という国全体が食べ物もエネルギーも自給率が低い国になってしまっています。

福和:実は「この国のありようとしてそれでいいのか」ということが、防災の問題そのものなんです。自律分散型の社会を作っておけば、どこかがやられても、他には波及しないわけですから、個人の自助力に加えて、社会としての自助力が必要です。それはつまり「生きる力」なんです。今、日本社会は「生きる力」を失い始めています。これを取り戻すことが大切ですよね。

 

●減災館に期待される役割

──先ほど名前の出た減災館には、そういう役割も持っているということでしょうか。

減災館

福和:減災館は元気が出る場所です。災害に関する話だから、本来は深刻にならなくちゃいけない問題ですけれども、ここでは深刻になりたくない。防災・減災ということを通して、地域を再発見し、そして人間の絆の大切さを再確認し、新しい日本を生み出す意欲を作り出す場だと思うんです。これを、僕たちは減災ルネサンスと言い始めています。

先ほどからお話しているように、東京一極集中を何とか止めなければいけません。。そのためには、元気のある地域が生まれないとだめなんです。そこで、防災・減災を通して、この国の基本的な構造を良い方向に持って行くようにしたい。それぞれの地域が力を持ち、国に頼らず、自分たちで、自分たちの問題を考え、自発的で前向きに地域を作って行かれるような文化を作りたいんです。

それを考えるのに一番わかりやすいのは、地震災害です。確実に来ると言われている南海トラフ地震では、日本の3分の1とか2分の1が被害を受けるとされていて、このままでは私たちの国は大変なことになります。今いる子どもたちは確実にそれに巻き込まれます。だから何とか備えなくてはいけません。これは日本の国のあり方を見直す大きな動機になります。

──他の土地ではなく名古屋ということにも意味があるのでしょうか。

福和:この地区は日本で随一の実体経済の町で、多くの製造業とその担い手が集まっています。万一その産業が壊れたらこの国は終わってしまう。しかもここの人たちは堅実で、愚直です。短期的ではなく、長期スパンでちゃんとものを考えられる人たちが多くいる。こういう条件が重なっているところは他にはありません。田舎っぽい名古屋だからこそ、昔の日本の考え方が残っていて、防災減災に対して誰よりも本気になれるかもしれないんです。

東京の東大地震研、京都の京大防災研、東北大学の災害科学国際研究所など、他地域には100人規模の防災研究機関があります。残念ながら名大には何もありませんでした。だから地域の人たちと一緒に減災連携研究センターを作りました。国からのお金はあまり入っていません。中部電力さんと東邦ガスさんと応用地質さんの寄付金や、僕たちが獲得して来た研究費で、教員の人たちを採用し、約20人の教員で運営しています。それは自分達の持っている力の中で、生み出して、地域を守るという“三男坊的生き方”に合致しているわけです。

─後編「新しい日本の姿を減災館に学ぶ」に続きます

名古屋大学減災連携研究センター・減災館
http://www.gensai.nagoya-u.ac.jp/