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レクチャー「津波に強い地域づくりとは?」

「津波に強い地域づくりとは?」をテーマに、地域における大事な取組などについて、阪本真由美先生(兵庫県立大学 減災復興政策研究科 准教授)にインタビューしました。


<阪本真由美先生のプロフィール>

兵庫県立大学 減災復興政策研究科 准教授
出身地:和歌山県
専門分野:防災危機管理、防災教育、国際防災
最近の防災・減災活動:
・「災害時における市町村の窓口業務継続に関する研究」地域安全学会論文集No.31, 2017
・「2015年口永良部島噴火に伴う住民の避難・機関プロセスに関する研究」日本災害復興学会 2017神戸大会予稿集, pp91-94, 2017
・「災害災害ミュージアムという記憶文化装置—震災の想起を促すメディア」,阪本真由美,山名淳他編『災害と厄災の記憶を伝える』勁草書房, pp.95-119, 2017


――津波防災に係わるようになったきっかけを教えてください。

2004年当時、JICA(独立行政法人国際協力機構)の職員でして、JICAの中で組織横断的な防災タスクを立ち上げました。立ち上げ直後に、インド洋大津波が発生し、被災地の生活再建をどうするかがテーマで活動し、それが「津波」との接点となりました。インドネシアのアチェの人達は「津波」という言葉も知りませんでした。地震の後に水が上がってきても、「水」、「水」と言って逃げ惑うだけだったようです。知らないというのは、どれだけ怖いのかというのを認識しました。当時在外事務所で勤務中だったため、TV会議等での参加に限られ、直接、被災地の支援をすることができなかったため、今後大きな災害が日本で発生した時、いくら国際防災に携わっていても、国内の防災には携われないと思うとともに、もう少し専門的に防災をやりたいと思い、京都大学に行き、防災について学び直しました。
その後、京都大学を卒業し、人と防災未来センターの研究員になりました。その時のコアな機関研究が「東海、東南海、南海地震に備える三連動の地震、津波対策」でした。人と防災未来センターのミッションの一つが被災自治体支援であったため、東日本大震災発生直後に宮城県に入って、そこから半年程度にわたり、災害対応を行いました。人と防災未来センターとしては、県や町の災害対応の検証をしましたが、それとは別に、被災地域からも災害対応の記録を整理する手伝いをして欲しいとの依頼がいくつかあり、岩手県陸前高田市広田町など様々な地域で、災害対応の見直しの手伝いをしたことが、地域と関わるきっかけだったと思います。


――津波への備えがあった地域となかった地域があったと思いますが、違いについて何か感じる事はありましたか。

津波への備えについて、東北は、日本全国の他の地域よりも充実していました。岩手県釜石市は、教育委員会が主体となり防災をやっていたことや、岩手県田老町は津波防潮堤を作っていたり、災害情報システムも津波に対応するものになっていました。また、東日本大震災が発生する以前から、宮城県では、津波災害を想定し各自治体が集まりワークショップを行っており、その時も津波に対する意識は十分にありました。但し、あれ程の津波という意識は、誰も持っていませんでした。正直、インド洋津波を見ている研究者は沢山おり、十分想定できた津波であった一方、現実感を持って対策をやっていませんでした。そこの課題は大きかったと思います。緊急地震速報もきちんと機能していて、防波堤も整備されていて、ハザードマップも配られている地域でも、それだけでは十分では無く、人が逃げてくれないと地域を守ることは難しいと実感しました。


――インド洋大津波など過去に大きな津波災害が多くありましたが、それでも認識が足りなかったという事なのでしょうか。

“面的”に被害を捉えることができていなかったかもしれません。また、被害を受けたら地域がどうなるかというところの認識も甘かったと思います。被害像をリアルにイメージする事も、現実のものとして捉え切れていませんでした。例え多重防御施設を作ったとしても、突破されたら、その次からは被災後の生活が始まってしまいます。東北にて、数多くの数の避難所が出来た時に、対応する方の行政の職員も亡くなっている中で被害像すら分からないという中での対応は考えていませんでした。
壊滅的な被害を受けて絶望的な地域でも、住民は、日頃の周辺住民とのコミュニティが確立できていたことで、災害時にも自助共助が有効に図られ、きちんと生活していたというのは、心強いことでして、そういう地域が沢山あるという事を、被災地を回っていて目にしました。宮城県の南三陸町、牡鹿半島など、交通網が寸断されて外部からの支援がまったくアクセスできないような所でも、住民は逃げることができ、工夫して生活していました。そのような日頃から自助共助を醸成することが、国を救うというのが大きかったと思います。 そのような地域を日本で沢山作っていくことが大切だと思っており、その思いだけで今、防災に取り組んでいます。


――地域における取組として、どのようなことが大事だと思いますか。

いざという時に助け合うという事が非常に重要であり、助け合いとは、自分が助けられる側だと思っていると成り立たなくて、自発的に自分はこれをしますと気が付く人が沢山いると、助け合いは充実します。例えば、山の中で若い人は水をどこで汲めばいいか分からない中で、年配の人が水のある場所を教え、皆で水汲みをすることや、外部から支援物資もない中で、皆が物を持ち寄って生活をするといった、助け合いがあるのが日本の良さだと思います。共助をもう一度見直して互いに助け合える地域を作っていく事が、すごく大切だと思います。


――助け合える地域をつくるには、どのようなことが大事だと思いますか。

お節介だけではなく、体も動かしてくれる事が大事です。よく口は出すけど、何もしてくれない人もいるので、口を出さなくても体が動いてくれる方の方が良いです。縁の下の力持ちみたいな人達が沢山いると、とても心強いです。人のためにやってあげようと思う人が多い社会は、良い社会だと思います。東日本大震災では、震災遺児・孤児が2,000人以上いました。震災直後から震災遺児・孤児の存在が心配でしたので、早い段階で行政とともに被災地を訪問していましたが、どの地域も親戚や近所の方が気を配っていたようで、自然に助け合いの社会となっていたことが印象深かったです。地域ぐるみで何かする基盤がある社会は、いざという時に強いです。


――地域の防災リーダーの方々に向けて、災害に強いまちづくりを進めていくためのメッセージをお願いします。

防災を進める上で、二つ大事な事があると思っていて、一つは地域の人すべての人に役割を持ってやってもらう事だと思います。日本人は謙虚なので自分から「はい!はい!」とやる方は少ないです。しかし、お願いしたら断わらない方が多いです。そのため、避難所対応や、日頃の防災対応でも全ての人に役割を持ってもらうと主体的に参加してもらえるようになると思いますので、心がけていただきたいと思います。もう一つは、防災リーダー等の方々は大変熱心な方が多いですが、災害対応に必要なのは調整力だと思います。リーダーシップというよりも調整力だと思います。役割を持っている人達、皆さん主役となれるような調整できる場をどうやって作っていけるかだと思います。調整力を磨くという事を是非やって頂ければと思います。
また、南海トラフ巨大地震が発生すると、全国の避難者数が1,200万人となることが想定されています。東日本大震災の時は30万人であったため、1,200万人を誰かが何とかできるとは、とても思えません。そのような時に対策をどうしようかと考えると、やはり一番コアになるのはご自身の近所の方々だと思います。地に足がついた防災の積み重ねが大きな防災力になると思うので、大きな事を考えるのではなく、地元から頑張ってもらいたいと思います。

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