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特集

名古屋大学減災連携研究センター 福和伸夫氏インタビュー【後編】 〜新しい日本の姿を減災館に学ぶ

2015年3月13日

●減災行動のための5つのステップ

──減災館ではどのようなことを学べるんでしょうか?

福和:いつも言ってるのは「知識は減らず口に結びつくだけだから、知識だけではだめ」ということです。「腑に落ちる」という言葉がありますが、体で納得出来ないといけません。「ドキッ」と驚いたり、「ヘ〜」と感動したり、「ナ〜ルホド」と納得したり、「オモロイ」と興味を持ったり、「オトク」と喜んだりして初めて知識は身に付きます。だから、減災館の1階には体感学習ができる教材ばかり置いています。例えば「長周期登り綱」。ぶら下がって、タイミング良く何度も背中を押してもらうと、だんだん揺れが大きくなります。建物の共振現象を体感できます。しかもそのサイクルは長周期地震動の揺れを再現しています。長い綱がぶら下がっているだけの単純なしかけですが、ただの知識ではなく納得できるようになっています。

それでも人間が行動に移せないのは、まだ「わがこと」と感じていないからです。自分の身に降り掛かると思って初めて実践するわけです。減災館1階のフロアを使った名古屋都市圏の「床面空中写真」では自分の家や職場を見つけられます。2階のタッチパネル式の「今昔マップ」では、まちの今と昔の写真を表示して、自分の家のある場所が、台地だったのか田んぼだったのか沼地だったのかわかるようになっています。それは自分がどんな場所に住んでいるかを知って「わがこと」と思うためです。

──確かに、「ひとごと」だと思っている限り行動には結びつきませんね。

福和:次に大事なのは、「やらなくちゃ」と決断してもらうことです。そのためにはお節介な人が一緒にいて背中を押してあげないとダメなんです。そういう人を育てるのが「げんさいカフェ」や「防災アカデミー」です。単なる講習会ではなくて、人材育成を一生懸命するわけです。「防災・減災カレッジ」、「高校生防災セミナー」など、減災館では人材育成プログラムをたくさん用意しています。

決断できた人は、最後は実践に進みます。何を実践すればいいかという解決策を誰かが教えてあげないといけません。ここは専門家の出番です。減災館では毎日ギャラリートークを開催していて、1階に必ず専門家がいて、相談相手になったり解決策をお伝えしたりできます。

正しく知識を学ぶ「理解」、体感型学習での「納得」、ヒトゴトでなくす「わがこと化」、説得役による「決断」、そして最後に具体的な「実践」。減災館は、この大事な五つのステップがつながる場所です。ここに来た人がその気になって、元気になって、実際に行動に移せるようになる。そういう場として、この減災館を作りました。

 

●学び、研究、対応の拠点として

──減災館は学びの拠点であるだけでなく、研究や対応の拠点でもあるとうかがいました。

福和:減災館には減災連携研究センターが入っていて研究を進めています。実践のための解決策を作るのは研究者の仕事ですから。例えば減災館は、建物ごと揺れるんです。たぶん世界で初めてだと思います。震度3程度ですが、月1回くらいは揺らしています。どういう不具合が起きるかを実地で確認できますし、モニタリング装置も完備していて、解決策である耐震、免震、制震研究のメッカをめざしています。

同時にこの建物は徹底的に安全にしてあります。通常よりグレードの高い免震構造で、ディーゼル発電機も備えていて1週間分の電気があります。1週間分の電気がある建物なんて他にはないですよ。水も千人分備蓄していますし、電源車の接続盤、プロパンガスと都市ガスの切り替えの空調機、パラボラアンテナ、中部地方整備局との長距離無線LANなど備えて、建物ごと率先市民をやっています。いざという時には対応の拠点にもある。それをゼロからみんなで作ったというのが誇りです。

──ゼロから作ったというのはどういうことでしょうか?

福和:組織も建物も何もないところから始めて、10数年かけて仲間を集めて、資料を集めて、研究を通じて開発した教材を増やしてきました。1階の「ぶるるコーナー」に展示してある教材は減災館ができる前からこつこつとつくってきたものがほとんどです。わざわざ新しく作ったわけではありません。他の多くの施設は業者に丸投げして見栄えの良いものを新調しがちです。それではお金がかかり過ぎて、他では真似できません。僕たちは模型教材の「紙ぶるる」を10万枚以上配りました。だれでも真似できるし、そのほうが遥かに多くの子どもたちに耐震化を学んでもらえます。

国が作ったE-ディフェンスという振動台は500億円かかったそうですが、減災館は、国からの予算は7億円(総工費10億円)で、建物ごと揺らして研究に使える施設を作りました。しかも中では研究者が働き、1階と2階は来館者が利用できます。7億円でここまでできる、というのがなかなか面白いところです。「これなら自分のところでもできるかもしれない」と、どんどん広まってくれればいいと願っています。

 

●歴史に学ぶ三大都市の違い

──先ほど、「わがこと」と思うには自分の家のある場所が昔どんな土地だったかわかるといいとのことでしたが、少し詳しく教えていただけますか?

福和:東京と大阪と名古屋では町の成り立ちが違うという話はご存知ですか? 名古屋は1610年に清洲城から名古屋城に移った「清洲越し」に始まります。清洲城は、1586年、天正の大地震で液状化などでひどい目にあっています。また隣に五条川が流れていて水害の危険も高い場所です。1610年当時、大阪には謀反の動きもあり、清洲城では徳川が守れないということもあり、徳川の威信にかけて城も町も丸ごと熱田台地の上に乗せ変えて名古屋城を作ったんです。その結果として、戦前までの地震で名古屋は致命的なことにならず、ほとんど無傷です。

大阪城は1583年に上町台地の北端につくりました。もともと難攻不落だった石山本願寺の跡地ですが、周辺は湿地帯で囲まれています。水辺に運河が発達して商売の町には最高だったわけですが、津波のリスクは高いところに町を作ってしまいました。江戸城の場合、さすがに家康は武蔵野台地の端に作り、味方は西側の台地の上に住まわせました。一方、大名たちには「天下普請」といって「日比谷入江」という海の埋め立て工事をさせて、そこに大名屋敷を作らせたわけです。ここは元禄の地震でも、安政の地震でも被害を受けています。その場所を明治政府は練兵場にしますが、資金に金に困った時に岩崎弥太郎に買ってもらいました。それが現在の丸の内・日比谷のビジネス街です。

このように、歴史的にも東京と大阪と名古屋の作られ方は全く違っています。1583年に作られた大阪、1590年に家康が転封でつくった江戸、1610年に清洲越しで作った名古屋。非常に短い期間ですけれども、そもそも町を作るきっかけが違うんです。

──まさに三者三様ですが、そういうことはどのくらい意識されているでしょうか?

福和:意識されていませんね。調べたら分かりますが、地方都市の市役所や県庁は城郭の中にあります。中心市街地も良い地盤の上にあります。昔ながらの集落も必ず良い所にあります。それは歴史がちゃんとつながっているからです。そして鉄道を通す時には、人が住んでいるところを避けて作りました。当時の蒸気機関車は火の粉を吐いて煙を吐くので、木造住宅は燃えてしまうから鉄道は迷惑施設だったのです。東京で言えば、京浜東北線は、全部武蔵野台地のちょっと下側を通っていて、中央線は全部谷筋を通っているわけです。

駅名にも残っていますが、神田、御茶の水、水道橋、飯田橋、市ヶ谷、四ッ谷、鴬谷、八重洲、新橋、田町、浜松町、大崎、水辺の地名かどうか、地名でも簡単にわかるわけです。マンションの名前に良くありますが、「レイクサイド〜〜」とか「シーサイド××」とか「リバーサイド××」とか、昔なら絶対にありえないですね(笑)。ところが、都市では駅をありがたがるようになって、そこに町を作ってしまう。面白いですよ。地方都市でも地域の老舗企業は台地の上にあって、支店は地盤の緩いところにあるんです。だからその価値観の転換をすることこそが防災・減災の一番大事なところです。さっき話した、「ドキッ」とか「ヘ〜」とか「ナ〜ルホド」とか「オモロイ」とか「オトク」というのはこういう話なんです。

 

●知識だけじゃダメ。一歩踏み出す勇気が大切。

──全国で福和先生のような取り組みをして行くためのアドバイスをお願いします。

福和:10年くらいかけると、ゼロからでもこういう施設ができるということを見に来てください。もちろんすぐに実現するわけではありません。時間はかかります。10年間、毎月マスコミの方や一般の方と勉強会を開いたり、こつこつと資料を集めたりしてきました。10年分の新聞記事のスクラップや、講演会のビデオ、東海4県の県史・市町村史やハザードマップ、地域防災計画、歴史地震を調べるための古文書資料などをこつこつ集めた結果、ここまで防災に関する資料の充実したライブラリーは他のどこにもありません。でも、やろうと思えばどこでもできるはずなんです。

減災館の展示教材も、一つ一つに思いがこもっています。物語があります。そのどれもが誰でも利用できるので、一度体験した人が「こういう場所があるよ」と人をここに連れて来てくれます。そうして関わる人が増えて行きます。だからこういう場があることは大事なわけです。それぞれの地元で同じような熱意をもって取り組めば、それぞれの形でこういう場をつくることができます。

──全国で福和先生のような取り組みをして行くためのアドバイスをお願いします。

福和:知識があっても防災には役立たないかもしれません。むしろ出来ない理由を言うには知識はいっぱい役に立ちます。上杉鷹山の師匠に細井平洲という人がいて、この人は僕が卒業した高校(愛知県立明和高等学校)の前身の藩校を作った人ですが、藩校を作る時に「学思行相須つ(がくしこうあいまつ)」と言ったんです。学び、考え、行動して初めて本当に学んだ事になる。つまり知識だけというのはまるでダメということを意味しますよね。ちゃんと実践に結びつけることが必要である。200年前に言われていることが全然できていない。

本当にやる時に必要なのは知識ではなく、勇気や行動力です。僕たちが最近メッセージで出すのは、「為せば成る、為さねば成らぬ何事も。成らぬは人の為さぬなりけり」という言葉。それだけです。ただ、一歩踏み出すにはもちろん勇気が必要です。勇気がなければ何も始まりません。鷹山が米沢藩主になる時に細井平洲が贈った言葉に、「勇なるかな勇なるかな、勇にあらずして何をもって行なわんや」という言葉があります。ひとこと贈るならこの言葉ですかね。

 

名古屋大学減災連携研究センター・減災館
http://www.gensai.nagoya-u.ac.jp/