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内閣府政策統括官(防災担当)
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防災推進協議会

災害遺構で
地域の防災の知恵を学ぼう!

安政東海地震・安政南海地震と「稲むらの火」5

場所

安政東海地震・安政南海地震と「稲むらの火」

和歌山県広川町

概要

1854年12月23日午前10時近く、駿河湾、遠州灘、熊野灘の海底を震源域とする推定M8.4の巨大地震。被害は関東地方から近畿地方におよび、沼津から伊勢湾岸沿い、特に箱根から見附あたりの東海道筋で家屋倒壊・焼失が著しく、また、甲府盆地も被害が甚大であった。家屋の倒壊は甲斐・信濃・近江・摂津・越前・加賀までおよぶ。 和歌山県広村では、津波が襲来した後に、濱口梧陵が自身の田にあった藁の山に火をつけて安全な高台にある広八幡神社への避難路を示す明かりとし、速やかに村人を誘導することができた結果として村人の9割以上を救った(死者30人)。津波から命を救えるかは、情報の伝達の速さが関わっているという教訓を残し、これをもとに作られた物語が『稲むらの火』として知られている。 安政南海地震津波の経て、広川町の浜口梧陵・浜口東江・岩崎明岳らが住民の生命と財産を津波から守るため、私財をなげうって築いた大堤防。

活用した主体

地域住民

活用の内容

「稲むらの火」と津波祭の「土盛」では、毎年11月に梧陵の遺徳を偲び「津波祭」を実施。「土盛」で新たな土を堤防に入れて補修を促す。

参照先

和歌山県ふるさとアーカイブ
http://wave.pref.wakayama.lg.jp/bunka-archive/matsuri/tunami.html

基本データ

災害  :地震、津波
西暦  :1854年
媒体  :建築
設置年 :1855年
場所  :和歌山県広川町
活用  :行事
活動期間:
主体  :
主な対象:地域住民
出典  :和歌山県ふるさとアーカイブ

※本コンテンツは、内閣府の依頼により国立大学法人東北大学(災害科学国際研究所)で作成された『「災害遺構」の収集及び活用に関する検討委員会』報告書を元に作成されました。

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